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「早く嫁に行ってもらわんと困るんですが…」。母の嘆きをよそ に、ユキはパラサイト(寄生)シングルを満喫している。兵庫県加 古川市で両親と暮らす。姫路市の大手建設会社の営業所で働き、年 二回は海外旅行を楽しんでいる。
昔ながらのいたずらぽさを目元にたたえて、ユキは待ち合わせた JR姫路駅に現れた。淡紫の半そでに白い花柄を散らした黒地のス カート。二十年前に比べぐっとあでやかになっている。 「この五月の連休はシリアとヨルダンに行ったわ。死海って本当 に浮くの。プカプカと気持ち良かった」。旅の話になると、細い目 がますます細くなる。これまで三十一カ国を訪れた。 「最近は自分でチケットを買い、ホテルは向こうで探すの。人の あまり行かない土地にいくのが好きで。気持ちがワクワクする」。 相変わらずの好奇心の強さである。二十年前の事件を思い起こし た。 カープがリーグ優勝した年だった。秋の遠足の日。熱狂的カープ ファンだったユキは崇子、高子の三人で、こっそりと新幹線で大阪 に日本シリーズを見に行き、大騒動となった。「確かに好奇心だけ は当時のままね」と、今では懐かしがる。この好奇心のなせる業だ ろうか。ユキの軌跡は時代を映し出す。 銀行員の父の転勤に備え、岐阜県の全寮制私立高に進んで一九八 六年、大阪の短大を卒業した。円高を背景に海外旅行ブームに火が つき、初めて旅行者が五百万人を突破した年である。ユキは卒業記 念でヨーロッパを回り、現在の海外旅行好きへとつながった。 その四年後の大阪・花の万博では会期中の半年間、コンパニオン として会場にいた。前年、前々年は自治体誕生の節目の年で、記念 博覧会が各地で開かれ、日本が沸き立っていた。「短大を出て、自 宅から通える大阪のソフトウエア会社にいたけど、あきがきて。面 白そうなので、応募した」と屈託がない。 閉幕後は当時、雇用の多様化で急増していた人材派遣会社の派遣 社員となった。父の加古川への転勤で九三年、現在の営業所に入社 した。 資料づくりや伝票処理などの一般事務を担当している。「給料は 言えないほど安い。ただ、家には一銭も渡さなくてすむので、旅行 もできる」と笑う。これまで恋愛もし、見合いも十回程度はこなし た。 「結婚は思い切りとタイミング。それが合わなかったの。でも、 絶対に結婚はしますよ。キャリアウーマンじゃないし、老後も少し 心配」。絶対との言葉に力を込め、明るく言った。 かってクラスにはユキのほか、康史、君子、美世子の三人の転勤 族の子がいた。康史は愛知県岡崎市の自動車開発設計会社に勤めて いる。試作車の走行テストをし、改良点を探るのが仕事である。 公立普通科高から私立大学経済学部に進学したが、二年で中退。 自動車専門の短大に入り直し、今の会社に就職した。新車の開発が 大詰めを迎え、取材の時間が取れなかった。電話でこう言った。 「大学に入ったものの、何をやりたいかが分からなかった。もと もと理系タイプ。技術の資格を取ろうと思ったんです。学歴的には 四年制のほうがいいけど、仕事にやりがいがあり、転身はよかっ た」。年収約五百万円。二十六歳で結婚。小学校二年生を筆頭に三 人の子どもがいる。 君子、美世子は取材を断った。君子は、高校の同窓生の話では、 結婚して東京に住んでいるという。美世子は、母親が「遠くで暮ら しています」とだけ教えてくれた。 |
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