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サッカー専門家に聞く「私の再生計画」 '03/4/8

サンフレ一丸 前進あるのみ
 サッカーJリーグ1部(J1)復帰へ、サンフレッチェ広島のチャレンジが始まった。同時にピッチの外では、選手の起用法や専用球場の必要論も含め、サポーターたちが語り合う場も増えている。Jリーグ2部(J2)転落は、「サッカー王国」復活へ、論議の機会も与えている。
 「元気づくりネット」登録読者に続いて、専門家に「私の再生計画」を聞いた。「優勝」という明確なゴールへ向かうチームの闘志と、地域挙げての後押しを求める、熱い言葉があふれた。

川淵三郎さん二宮清純さん浜本敏勝さん宇田誠さん加藤健一さん
OBからメッセージサッカー王国広島の歩み

■戦力不安なし 課題は闘争心だ

   日本サッカー協会キャプテン 川淵 三郎さん

かわぶち・さぶろう 大阪府高石市生まれ。早大在学中から日本代表選手として活躍し、80年に日本代表監督を務めた。91年からJリーグ理事長(チェアマン)。02年7月、チェアマンを退任し、日本サッカー協会の副会長から会長(キャプテン)に就任した。66歳。

 ぼくらの時代、サッカーの強い県というとまず広島だった。日本代表にも広島出身の選手が多かった。中四国で唯一のチームでもあり、全国的なバランスから考えても、広島はJ1に欠くことのできない存在だ。

 昨年は実力がありながら、力を余して負けた感じがする。けが人もいたし、肝心なところでアテネ五輪アジア予選に日本代表として森崎兄弟が取られたり、不運な面もあったが、勝つために本当に真剣に戦っていたかというと疑問符がつく。

 久保竜彦、藤本主税は移籍した。森崎兄弟は今年も途中抜けるものの、現有戦力に若手を加えて戦えば、一年で昇格できると思う。ただ、J2は長丁場。一年間、相当な緊張感を持って戦わないと駄目だ。優勝できるメンバーだった昨年のセレッソ大阪は、辛うじて二位で昇格した。簡単だと思ったら大間違い、と選手に言いたい。

 小野剛監督の選手を育てる力はトップクラスだ。理論武装がしっかりできており、ユニークな監督になると期待している。ゼネラルマネジャーも代わった。チーム全体が大きく変わるきっかけになりそうだ。

 自前で育てた選手の力で昇格し、次のステップを狙う。そういう形になってこそ「サッカー王国」復活といえるだろう。

 サポーターの役割も大きい。厳しい目で真剣にプレーしているか見極めつまらないプレーにはブーイングしてほしい。

 広島市長がサッカー専用スタジアムの建設に意欲を見せている、と聞いている。専用ならピッチとスタンドの一体感が生まれ、選手の強力な後押しになる。二、三年後には、そこでJ1優勝を争っているのを見たい。

 サッカーと野球のプロ球団がある街はそう多くない。昨年のW杯で世界の記者に名前を知っている日本の街を聞いたら、東京、広島、京都。強いサッカーチームがあれば、その名前がさらに世界にとどろく。可能性のある街なんだから、広島には頑張ってほしい。


■広島の「宝物」と申し上げたい

   スポーツジャーナリスト 二宮 清純さん

にのみや・せいじゅん 愛媛県八幡浜市出身。スポーツ紙記者などを経てフリーに。五輪、サッカーなど国内外で幅広い取材を展開し、テレビのコメンテーターも務める。「瀬戸内スポーツ紀行」などの著書がある。43歳。

 瀬戸内海を挟む愛媛で育ったぼくには、広島はあこがれの地だった。野球はカープ、サッカーはサンフレッチェの前身の東洋工業。四国にない「宝物」が広島にはあったからだ。わくわくしながら広島行きの水中翼船に乗ったのが忘れられない。以後、浮気もせずサンフレッチェファンだ。

 言うまでもなく、サンフレッチェは金持ちのチームではない。その弱みを有能な監督やスカウティングといった「知恵」で補ってきた。オフトやバクスターがそう。逆に言えば監督の力に負うところが大きい。それだけに昨季の監督交代のごたごたは痛かった。今季は、戦術家として評価が高い小野監督のもとでスタート。そこに期待する。

 強調したいのは、一年でのJ1復帰が大前提ということ。J2暮らしが長くなるとモチベーションも下がるし、資金面も苦しくなる。今や失うものはないチャレンジャーのはず。今年が勝負だ。

 でも楽観は許されない。若手が充実し個々の能力が高いのは承知しているが、J2も今や非常にレベルが高い。甘く見ないほうがいい。初めてのピッチに初めてのアウエー。皆、一泡吹かせようと向かってくるだろうし、見下して戦えるような環境ではない。

 チームを後押しするのは地域の熱気。それを生むには「情報公開」が大切だ。クラブは「家庭」。選手、監督、フロント、サポーターは「家族」で、秘密があってはならない。監督交代、選手補強など、決断理由を説明することがサポーターとの信頼関係を生み、距離を縮めるはずだ。

 最後にもう一つ、広島っ子にあえて申し上げたい。「サンフレッチェにカープ…。あなたたちは二つの宝物を持ってるんですよ。そんな幸せな地方都市はあまりありませんよ」って。熱しやすく冷めやすい県民性と評されるが、まばらなスタンドは実にもったいない。


■地域で選手を育てる環境必要

   広島大河フットボールクラブ総監督 浜本 敏勝さん

はまもと・としかつ 広島市南区出身。68年山口大を卒業し大河小へ。教員勤務の傍ら、広島大河フットボールクラブの監督を務め、96年から総監督。元横浜マリノスの木村、日本代表でセレッソ大阪の森島選手らを育成。88、89年に世界少年サッカー大会日本選抜コーチを務めた。現在、古田小校長。58歳。

 広島大河FC(広島市南区)で、少年サッカーの指導に三十五年間、携わってきた。この間、チーム出身のJリーガーが十一人誕生した。元日本代表で横浜マリノスで活躍した木村和司、セレッソ大阪の森島寛晃らは、地元に帰ってくると必ず児童や生徒とボールをけってくれる。本当にうれしいことだ。

 大河FCの指導者としてボランティアで参加してくれる十五人の社会人も、チームの出身者だ。「育ててもらった」「恩返しがしたい」などと言って、物心両面でサポートしてくれる。

 これは大河FCだけの話ではないだろう。広島県には二百を超える小学生チームがある。例えば、サンフレの中心メンバー森崎浩司、森崎和幸兄弟は矢野小(広島市安芸区)出身。地域が自前で育てた選手だ。

 そう考えると、広島のサッカー界の底辺は厚く広い。その頂点がサンフレと言える。ワールドカップの代表が何人も出る、全国トップクラスのチームであってほしいし、それがふさわしい。

 地域のプロチームの存在は、子どもにとって非常に大きな意味がある。トップのパフォーマンスを身近で見ることは、練習への力、将来への目標となる。そんな環境があったからこそ、森島や森崎のような選手も生まれたのだろう。

 少年サッカーの指導者は、ぜひ一度、練習を休みにして、子どもをサンフレのスタンドに連れて行ってほしい。昨季終盤のような試合を応援できれば、忘れられない充実した思い出になろう。

 指導者としては、育てた子どもが将来、サンフレで活躍するのが夢であり、目標だ。地元の選手が増えれば、地域の人ももっとスタジアムに集まるだろう。もう一度、埼玉、静岡と並んで「御三家」と呼ばれるサッカー王国を築くには、子どもたちがプレーに感動し、その頂点を目指す環境が必要だ。その環境をつくる地道な努力を忘れてはならない。


■専用スタジアム 整備急ぐべき

   サンフレッチェ広島後援会長 宇田 誠さん

うだ・まこと 福山市出身。57年に早稲田大を卒業し、広島銀行に入行。岡山支店長などを経て94年から2000年まで頭取を務めた。同年から会長。01年にサンフレッチェ広島後援会の会長に就き、会員拡大、募金などによる球団の支援活動に取り組んでいる。68歳。

 二年前、後援会長を引き受けるまで、実はサッカーのルールさえよく知らなかった。会長に就き、スタジアムに通ううち、ルールは自然と覚えた。その数々の「戦いの場」を訪れて感じるのは、勝利に向け選手とサポーターが一体となる素晴らしさだ。汗を飛ばしボールを追う選手を肌で感じる臨場感。これぞサッカーの妙味だろう。

 だが、そのだいご味を存分に味わうためのサッカー専用スタジアムが、広島にはない。サンフレッチェがホームグラウンドとする広島ビッグアーチ(広島市安佐南区)と広島スタジアム(西区)の主目的は陸上競技場。プロチームが、陸上競技場をいわば「間借り」している状態だ。

 スタンドの下には八レーンの陸上コースがあり、サッカーグラウンドはその向こう側。ピッチまでこれほど距離があっては、サッカーの真の魅力は味わえない。

 J1の十六チームのうち、半数以上が専用スタジアムを持っている。全国有数のサッカー先進県で、しかも政令指定都市にありながらのこの現状は、経済人としても残念の極みだ。

 単にハードがあれば良いとは思っていない。後援会として会員増に地道に取り組み、昨年は会員数が目標の一万人台に乗った。今必要なのは、選手が最高のプレーを演じ、サポーターと一体となれる「器」、つまり専用スタジアムだ。

《サッカー専用スタジアム》現在、ホームスタジアムをサッカー専用とするのは、J116チーム中、ベガルタ仙台▽鹿島アントラーズ▽柏レイソル▽FC東京▽東京ヴェルディ1969▽横浜F・マリノス▽清水エスパルス▽ジュビロ磐田▽ヴィッセル神戸の9チーム。J212チームでは、大宮アルディージャ▽横浜FC▽アビスパ福岡▽サガン鳥栖の4チームある。

 選手にとっても、至近距離からサポーターの熱狂的な応援を受ければ、大変な刺激になる。広島市中心部にスタジアムができれば、にぎわいの場ができる。広島都市圏の活性化にもつながる。

 秋葉忠利市長は、今の広島市民球場(中区)を候補地の一つにあげた。人が集まりやすい場所という点で大変、魅力的だ。課題がいくつかあるものの、広島スタジアムの改修も一つの案だろう。

 構想は、一部のサッカーファンだけでなく、幅広い人の理解を得て進めたい。スタンドで応援したことのない人にこそ、選手と一つになる素晴らしさを一度、味わってみてほしい。なぜ今、専用スタジアムなのか、理解してもらえるはずだ。


■チームと県民 音楽で結ぶ

   サンフレの応援歌を作った作曲家 加藤 健一さん

かとう・けんいち 静岡市出身。広島修道大在学中、バンド活動をしながら作曲を始め、卒業後、作曲家として本格的に活動。99年から広島ビッグアーチでのサンフレの試合で演出曲を担当。テレビ番組のテーマ曲や舞台音楽のほか、ひろしまフラワーフェスティバルのYOSAKOI基本曲も手掛けた。33歳。

 ヨーロッパのビッグスタジアム。何万人ものサポーターが大きな旗を振り回し、勇ましい応援歌を高らかに歌っている―。二月にCD発売されたサンフレの応援歌「GOAL and PROUD(ゴールアンドプラウド)」は、そんなイメージを頭の中で膨らませながら作った曲だ。

 シンプルで勇ましく、ノリのいいメロディー。しかもコンピューターを駆使して最新の音づくりを意識した。応援歌とはいえ、かなりかっこいい曲に仕上がったと自負している。

 サンフレのために、作曲家の自分にできることは何か。それは音楽でチームと県民との距離を縮めることではないか。そう思うのは、昨年、ひろしまフラワーフェスティバルの「きんさいYOSAKOI」の踊りの曲を作り、音楽の力を再認識したからだ。みんなが夢中で踊る姿は本当にうれしかった。祭りは一歩引いてながめるものでなく、踊りの輪の中に入って楽しむものと実感した。

 サッカースタジアムも同じだろう。小、中、高校生を含めた広島県のサッカー人口はとても多い。私自身、高校ではサッカー部に所属していた。ただ、みんなテレビを通じてサンフレは知っているが、スタジアムに足を運んで応援を楽しんでいるのはごく一部にすぎない。

 スタジアムと県民との間にある見えない「壁」。これを音楽で突き崩すことができると信じている。「この歌をスタジアムで歌ったら楽しそう」。そんな風に感じてもらえたら、作ったかいがある。いつかビッグアーチでこの応援歌の大合唱を聴くのが夢だ。

 実は、応援歌の作曲を本格的に始めた昨年は、J2に降格するとは思ってもみなかった。今季、J1復帰を果たせば、苦しい時期を乗り切った思い出の歌になる。そして来季は、J1復帰を祝う新バージョンに曲を作り替えたい。

★☆OBからメッセージ☆★

予算ありきの強化から脱出
風間 八宏さん

風間

 J2降格は、長年「まず予算ありき」でチームをつくってきたツケが表れたと言える。たとえお金が無くても、チームの強化方針をはっきりさせ、スタッフや選手の獲得、育成ができていれば、こんな事態にはならなかったと思う。

 再生へのポイントは、早急に長期的なビジョンを確立することだろう。どんなチームをつくるのか、そのためにはどのような選手が必要か…。強化予算を確保するために、さらなる営業努力も必要だろう。

 苦難からの復活を、広島は過去にやってのけている。私が入団した一九八九年当時、前身のマツダは日本リーグ2部にいた。そこから「世界一のクラブ」を目指し、みんなが一致団結した結果が、九四年のJリーグ第1ステージ優勝だった。時間はかかるが、広島には温かいサポーターもいる。「再建」に着手するのは今からでも遅くはない。


かざま・やひろ 静岡県清水市生まれ。元日本代表MF。89―95年広島在籍(マツダ時代含む)。主将として94年のJ1第1ステージ優勝に貢献。96年現役引退。現在、評論家の傍ら、桐蔭学園横浜大監督を務めている。41歳。

常にV目指す姿勢 取り戻せ
吉田 安孝さん

吉田

 プロチームにとって、大切なのは「常に優勝を目指す」という姿勢。ここ数年間、その目標はあいまいだったように思う。近年は「5位以内」などという甘えた声が出ていた。その結果が今回のJ2降格。本気で優勝を目指さないチームの空気は、サポーターが離れた理由の一つでもあろう。

 今年は「J1復帰」という目標がはっきりしている。スタッフ、選手も一丸となっている。問題は来年以降だ。J1復帰を決めたとしても、J1優勝を本気で目指す雰囲気をつくり上げないと、チームは同じ過ちを繰り返すことになるだろう。

 「勝つ」「優勝する」という闘志、気迫が、サポーターに伝わるチームになってほしい。今回の降格に意義があったかどうかは、J1で優勝争いをするようになって初めて言える。


よしだ・やすたか 広島市西区生まれ。国泰寺高―東海大―田辺製薬。DF。91―94年広島在籍(マツダ時代含む)。96年現役引退。現在、家業の運送会社専務の傍ら、サッカーコメンテーターを務めている。36歳。

○●サッカー王国 広島の歩み●○

1919  広島高師学校と広島師範学校(いずれも現広島大)が似島(広島市南区)のドイツ人捕虜チームと試合
 広島中(現国泰寺高)が神戸の関西中等サッカー大会で優勝
24 第1回明治神宮体育大会で鯉城蹴球団が優勝
36 広島一中(同)が全国中等サッカー選手権で優勝
38 広島高(現広島大)が全国高校サッカー大会で優勝
47 広島付中(現広島大付属高)が全国中等サッカー選手権で優勝
49 鯉城高(現国泰寺高)が全国高校サッカー選手権で優勝
53 修道高が全国高校サッカー選手権で優勝
65 日本サッカーリーグ始まる。東洋工業(現マツダ)が制し、初代王者に=写真
Photo
66 東洋工が全日本サッカー選手権で初優勝。日本サッカーリーグは2連覇
67 東洋工が日本サッカーリーグ3連覇

68  山陽高が全国高校サッカー選手権優勝
 東洋工が全日本サッカー選手権で2度目の優勝。日本サッカーリーグは4連覇。メキシコ五輪では、東洋工から3人が代表入りし、銅メダルに貢献
70  東洋工が全日本サッカー選手権で3度目の優勝。日本サッカーリーグは5度目の優勝
88  マツダSCが全日本サッカー選手権で準優勝
92  マツダを母体にサンフレッチェ広島誕生
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94  サンフレがJ1第1ステージで優勝=写真
96  サンフレが全日本サッカー選手権で準優勝
97  サンフレが全日本サッカー選手権で2年連続の準優勝
99  全国高校総体で皆実高が優勝
2000  サンフレが全日本サッカー選手権で3度目の準優勝
02  サンフレがJ2に転落

 


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