2001/2/9
◇恩師の勧めでUターン◇ 皆実高を卒業した四年前、プロ選手に「出世」して広島に戻るとは思ってもみなかった。無邪気にボールを追っていた少年時代のように、広島県府中町の実家から練習に向かう道すがら、自分に言い聞かせる。「遊びで帰ってきたんじゃない」。二十二歳は強い覚悟でUターン就職した。
高校まで脚光を浴びる選手ではなかった。無口で、物静かな性格。背は高いものの、競り合いのたびに弾き飛ばされるか細い選手だった。高校ではレベルの高さに、「やめよう」と悩んだ。 高校三年の五月、中国高校選手権決勝。1―1の後半に交代出場し、延長戦でハットトリックを決めた。ひ弱から豪快へ。イメージは一八〇度変わった。 明大では一年から主力として活躍した。一九九七年の関東大学リーグで得点王と新人王に輝き、いきなりベストイレブンにも選ばれた。九九年はユニバーシアード日本代表に選出。Jリーグチームの注目も集まり、広島を含めて3チームから声が掛かった。 進路を迷う中、頭に浮かんだのは恩師たちの顔。サンフレの練習に参加した八月、高校時代の中山正剛監督(46)=現高陽高監督=を訪ねた。「トップリーグでやるんなら、帰ってやれや」。小、中学校時代の恩師にも同じような言葉を掛けられた。 大学で花を開かせることができたのは、少年時代の監督やコーチのおかげ。「お世話になった先生方に、成長した姿を見てもらいたい」 久しぶりに生活する広島を「小さくて、狭い街だなあ」と思う。それだけ自分が大きくなったからなのか。「育ててくれた温かい街」と遠くで懐かしんでいた古里は、勝負のフィールドに変わる。
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