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九条の改正には慎重だが、新しい権利は盛り込むべきだ―。こんな意見の人が各種の世論調査で増えている。衆参両院の憲法調査会最終報告書や自民、民主、公明党も新しい権利の新設を提起している。
このうち「新しい人権」と呼ばれるのは、環境権、プライバシー権、犯罪被害者の権利などである。特に反対する理由がないようなテーマが並ぶ。憲法の性格と現状に照らし合わせて、いま一度考えたい。
現状では弱いか
環境権は大気、水、静かな自然環境や文化遺産などを個人が享受できると主張する権利。中の一つ、景観権は一九六〇年代から司法で争われ、東京都国立市のマンション訴訟で住民の利益として最高裁が五年前に初めて明確に認めた。
プライバシー権は情報化社会の進展に伴い、「自分に関する情報をコントロールする権利」とされる。
これらは個人の尊重や幸福追求権を定めた憲法一三条を主に根拠としている。新たに憲法に規定すべきだとの主張は、制定時には想定されていなかったことや、ほかの権利と衝突した時に積極的に保護される―などの論拠に基づく。
一方で、「一三条で十分」とする識者も多い。新しい人権が十分に保障されていないとしたら、立法や行政、司法がその精神を実現する努力を怠っているという指摘である。
実際二年前には、自治体が景観地区で建物の制限ができる景観法が完全施行された。尾道市や京都市などはビルの高さを厳しく規制する条例を制定。開発一辺倒だった経済活動とのバランスを探り始めた。
犯罪被害者の問題は、その苦悩や裁判での配慮のなさといった実態が、当事者の訴えによって知られてきた。支援組織の結成や裁判への参加など官民の多様な動きが出ている。できることはまだまだある。
地方自治の分野でも、憲法は物足りないとの声がある。小泉政権の三位一体改革が地方にとって不本意に終わったのは、憲法に地方財政の明確な規定がないからだとし、全国知事会が財政や課税の自主権新設を求めているのも一つの例である。
しかしここでも、地方自治法の改正や独自の条例で改革できる余地は大きいとの見解は根強い。
例えば東京都杉並区。区政運営の原則と住民参画を保障した自治の基本、プライバシー保護に配慮した防犯カメラ運用、区長の多選自粛といった独自の条例を次々につくった。
前提には国と自治体を対等な関係にする地方分権一括法がある。憲法や法律に書いていないことを条例で補強する。それが分権時代の自治体の責務だとして、区と議会が政策論議を重ねる。
急ぐ理由がない
こう考えると、新しい人権や今の地方自治への不満の多くは、行政などが積極的に仕事をしない結果ともいえる。それが憲法問題にすり替わっている面がないだろうか。権利の実現を憲法が邪魔をしているわけではないし、そもそも憲法は良識的な行為を禁じてはいない。
近年、ワーキングプアや生活保護の切り捨てが問題化している。憲法二五条で「健康で文化的な最低限度の生活」を掲げ、国に努力義務を課しているにもかかわらず、である。時代の変化に伴って新たな問題が起き、政治は憲法の精神に近づけようとその都度施策を打ちだす。憲法に書き込めば解決、ではないのだ。
新しい権利は、「もし改正するなら入れた方がいい」といった程度の位置付けといえないだろうか。ましてや急ぐ必要など全くない。となると、改憲論議の争点は九条に絞られよう。国民に強い異論のない新しい権利を理由にした改憲は、九条改正への「露払い」役になりかねない恐れがある。
それよりも地方自治、国会、司法の場などで確立するのが先ではないか。そのために私たちは声をあげ、一票を行使するのである。
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