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二十年前の事件といっても、犯人の強烈な印象がいまだに残る。わいせつ目的で四人の命を次々奪い、遺族に遺骨を送りつけるなど猟奇的な手口で日本中を震撼(しんかん)させた幼女連続誘拐殺人事件である。その宮崎勤死刑囚の刑がきのう執行された。
鳩山邦夫法相による死刑執行は四回目で計十三人。死刑が三年余りの中断後再開された一九九三年以降、最多だった長勢甚遠前法相の十人を超えた。
気になるのはこのタイミングである。最高裁で判決が確定してから二年四カ月。裁判で刑事責任能力の有無が激しく争われた死刑囚の執行は慎重にするのが従来の慣行であり、急ぎすぎの印象がある。秋葉原の無差別殺傷事件を受けて抑止効果を狙ったのではないか、との見方もある。
鳩山法相は「正義の実現と法の支配する国」を理由に「粛々と執行した」という。だが、宮崎死刑囚から事件についての謝罪や反省の言葉も伝えられないまま。心の暗部も十分解明されずに終わってしまった。
確定判決によると、宮崎死刑囚は八八年夏から八九年にかけて、東京都と埼玉県入間市などで四―七歳の女児四人を相次いで連れ去って、殺害した。遺体を切断したり、骨を焼いたりもした。「今田勇子」の名で犯行声明を新聞社に送りつけるなど、社会に衝撃を与えた。
公判では犯行当時の刑事責任能力が問われて、二度の精神鑑定を実施した。「人格障害はあるが、善悪の判断はできた」という責任能力を認める鑑定のほか、責任能力を一部否定する「統合失調症」「多重人格が主体の反応性精神障害」と三通りの鑑定書が出された。最終的に最高裁は完全責任能力を認め、死刑判決を下した。
宮崎死刑囚は「覚めない夢の中でやったような感じ」と殺意を否認。「女の子が泣きだすとネズミ人間が出てきた…」など意味不明な言動が注目を浴びた。自分のしたことをどう考えていたのか、遺族に謝罪する気持ちが本当になかったのか。心の動きは分からない部分が多い。
この事件の後も、子どもを狙った性犯罪は後を絶たない。犯罪防止に、宮崎死刑囚の心理や行動の分析をもっと役立てることはできなかっただろうか。責任能力を判断するために用いられた精神鑑定を、もう少し心の闇を解明するために活用してほしかった。
遺族にとっては、死刑にしても物足りないような凶悪犯罪が相次いでいる。最近の司法判決は、被害者や市民感情を反映して厳罰化の傾向にある。一年後に導入される裁判員制度では、一般市民も死刑問題と正面から立ち向かう必要に迫られる。
死刑制度については賛否両論がある。死刑の代わりに終身刑を導入しようという動きもある。そうした中で、しばらく立ち止まって考えてはどうだろうか。死刑制度の是非も含めて、国民的な議論を巻き起こしたい。
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