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くじで選ばれた人が重大な刑事事件の裁判に加わり、裁判官とともに判決を下す。国民が刑事裁判に参加する裁判員制度が、きょうスタートした。
国の三権の一つなのに専門家任せだった司法が、大きく変わろうとしている。柔軟に運用しながら見直しもためらわず、開かれた司法を実現させたい。
といっても「なぜ今」については、分かりにくさを感じる人も多かろう。
背景をたどると構造改革路線に行き当たる。経済のグローバル化が進む一九九〇年代後半、経済界から司法強化の要望が出た。規制緩和によって紛争が増える。裁判官をはじめとする法曹人口を増やすべきとの主張だった。
別の流れもあった。日弁連が求めてきた「司法への国民参加」。職業裁判官による今の刑事裁判では99・9%が有罪となっている。冤罪(えんざい)が絶えない現状を変えるには、一般市民の目の導入が欠かせないとの考え方だ。
日弁連の協力を得るため、政府は異質な二つの流れを抱き合わせる形で、司法制度改革の検討を十年前に始めた。審議会が舞台だったために、国民を巻き込んだ議論になりにくかった。
ともあれ制度は始まった。裁判員に第一に求められているのは健全な市民感覚といっていい。
これまでの裁判は調書が重視された。自白を引き出して書類にする捜査に偏りがちだった。しかし裁判員裁判は、証拠に基づく「見て聞いて分かる」法廷にシフトする。それだけに、市民の常識的な感覚による判断で裁判がどう変わるかに期待が集まる。
警察や検察の捜査手法も、証拠集めの段階から変わらざるを得まい。取り調べの一部録画も始まった。裁判員が適切に判断を下すためにも、捜査の「可視化」の拡大を進めるべきだろう。
長期にわたることが多かった裁判の迅速化も図られそうだ。裁判員裁判では、公判前整理手続きで審理される証拠などの絞り込みが行われるからだ。
ただ落とし穴もある。あいりちゃん事件では、裁判員裁判を意識して審理した広島地裁の判決を、広島高裁が破棄、差し戻した。公判前整理で論点を絞り込みすぎて審理不十分との理由だった。
裁判員の負担軽減にも配慮しつつ、正しく判断できる材料をいかに提供するか。検証を重ねながら充実させていく必要がある。
先進国の多くは司法への国民参加制度を備えている。わが国では、戦前の一時期を除いて裁判を専門家に委ねてきた。それが司法における「お任せ意識」を助長した面があったのではないか。今回、裁判員の候補者名簿に載った人たちは不安を抱えつつ、一方で使命感や意欲も語っている。
運用が始まると新たな課題も出てこよう。三年後には見直すことになっている。国民主権を推し進める制度として成熟させるために、体験者をはじめ国民の声を反映させることが欠かせない。
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