広島市ゆかりの文学資料が散逸や劣化の危機にひんしている。資料を集め、研究する場がないためだ。20年余り文学館の開設を訴えてきた市民団体は「市に全くその気がない」と運動を断念した。このままでいいのだろうか。
広島の文学といえば、原爆やその非人間性をテーマにした作品がまず浮かぶ。峠三吉、原民喜…。作家の考えや作品の成り立ちに迫ることは、ヒロシマの発信にもつながるだろう。
さかのぼれば児童雑誌「赤い鳥」を創刊した鈴木三重吉、新劇の生みの親として知られる小山内薫ら戦前の文学者。現役で活躍する竹西寛子氏や阿川弘之氏もいる。豊かな風土が数多くの作品を生んできた。
なのに発信する拠点がない。全国の政令指定都市の3分の2には文学館があるが、広島市は財政難でつくる余裕がないという。
市がゆかりの文学資料を集めていないわけではない。中央図書館には21人の作家の書籍、直筆原稿、書簡など3万点余りがある。文学館開設を訴えてきた市民団体も資料を掘り起こし、収集の一翼を担ってきた。
その一部は館内の「文学資料室」で展示されている。ただ広さはわずか65平方メートル、作家の横顔と1人数点ずつの資料を並べるので精いっぱいだ。市民団体の声を受けて嘱託の学芸員を1人置いたが、作品の背景を掘り下げる資料研究にまで手が回らない。
市民が本や雑誌を読んだり、借りたりする場所が図書館、とすればやむを得ない面もあろう。だが数年前には偶然、収蔵資料の中から原民喜の代表作「夏の花」につながる草稿が見つかった。「宝の山」が手つかずで眠っているともいえる。
戦後間もなくの資料は紙質が悪く、傷みが激しいことも気掛かりだ。図書館は10年ほど前から、劣化を少しでも防ごうと保存箱に収蔵しているが、他市の文学館のように一定の温度や湿度に管理しているわけではない。
遺族らがこうした保存体制や活用に不安を抱いたとしても不思議はないだろう。最近になって、ほかの施設への寄贈が相次ぐ。書簡などが大阪の資料館に流出してしまったケースもある。このままなら、貴重な資料が地元で見られない事態にもなりかねない。
市が施設をつくるのは無理としても、今ある資料を後世に引き継げるようにきちんと保存すべきではないか。
同時に、資料を生かす方法に知恵を絞りたい。既存の施設を利用して、資料の収蔵と展示を分けている福岡市の例がある。参考にできる試みだろう。
ネット文学館という方法も注目されている。中央図書館は昨年から「赤い鳥」の解説や資料の一部をホームページで見ることができるようにした。ぜひ、ほかの作家にも広げてもらいたい。
要は地元自治体のやる気の問題だ。地域の宝を生かそうという共感の広がりも欠かせない。
【写真説明】広島市ゆかりの作家の資料を並べた中央図書館の文学資料室
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