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惜しまれる「冷遇」 '06/12/14

慌ただしい師走の半ば、毎年ながら、きょうの日付は気を引き締めてくれる。三日付本紙「団塊」面で紹介された「忠臣蔵講師」梶ケ野弘美さんのような域にはとても及ばないが、赤穂浪士ファンはこの時季、吉良邸討ち入りに思いをはせる▲快挙を遂げた四十六人は十五日から翌年二月四日の切腹まで、大名四家に預けられた。その処遇となると、山口県民としては少々肩身が狭い。長府毛利家は浪士の所持品や体の手入れなどまで事細かに規制し、ほかの三家に比べ厳しすぎたとの風評があるためだ▲外様の支藩として赤穂と長府は同じ立場。できれば共感を示してほしかった。毛利氏の治世に詳しい専門家によると、藩主毛利綱元は文治主義を重んじ将軍綱吉を尊崇、幕閣に親しい大名も多かったという。処断が下されるまで慎重だったのも無理からぬか▲それでも、熊本細川家で浪士の接待に努め、聞き書きを重ねて貴重な史料を残した堀内伝右衛門のような藩士がいなかったのが惜しい。膨大な「毛利家文庫」などが示す通り、詳細な記録づくりは伝統だったはず▲預けられた浪士十人も多士済々。米、そばをそれぞれ商い吉良邸を探った前原伊助と杉野十平次、孟子の末裔(まつえい)ともされる武林唯七、割腹ぶりが見事だった間新六…▲浪士を忠臣だ義士だと世間がもてはやし、あれこれの逸話が続々創作された。浪士自身の肉声がより多く記録されていれば、赤穂事件の史実がもっと豊かになっただろうに。




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