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2000.7.14
 第 1 部   被 爆 者

80年被爆者基本懇
「国家補償」を退ける
均衡論に立ち意見書提出


 被爆者が一貫して求めてきた国家補償の精神に基づく被爆者援護法。一九九四年末、特別葬祭給付金などを盛り込んだ「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」が成立したが、被爆者団体は「国家補償」の文言が欠けている、と改正を求めている。被爆者援護法を縛り続ける「一般戦災者との均衡」論。それを強く打ち出し、後に国の政策のバックボーンとなった一九八〇年の「原爆被爆者対策基本問題懇談会」とは、何だったのか。

 懇談会は、七九年に厚相の私的諮問機関として設置された。メンバーは茅誠司元東京大学長(故人)ら学識経験者七人で、「七人委員会」とも呼ばれた。被爆者対策が福祉の性格を持つ社会保障でいいのか、国の責任で実施する国家補償であるべきなのか、を問い直した。

 被爆者には五七年施行の「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」(原爆医療法)と、六八年施行の「原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律」(被爆者特別措置法)のいわゆる原爆二法で医療費や各種手当が給付されていた。だが、国の見解は「社会保障の枠内での施策」と位置づけてきた。

 当時、被爆者健康手帳をめぐる在韓被爆者孫振斗さんが起こした裁判で、被爆者対策の制度の根底には「実質的に国家補償的な配慮がある」との最高裁判決が七八年に出たことなどから、被爆者団体は懇談会が国家補償に踏み込む提言をするよう期待した。

写真
園田直厚相(左)に意見書を渡す原爆被爆者対策基本問題懇談会の茅座長
(1980年12月11日、東京都内のホテル)
 しかし、八〇年十二月に出された意見書は「原爆被害は放射線障害など際立った特殊性を持った被害」と認めたものの、「戦争の犠牲は国民が等しく受忍しなければならない」として、被爆者が要求してきた死没者に対する弔慰金、遺族年金を盛り込んだ被爆者援護法を事実上、退ける内容だった。こうした意見書の基本になったのが、従来の政府答弁などに沿った「一般戦災者との均衡」論だった。

 均衡論は、意見書から十四年後に成立する被爆者援護法の中にも生き続け、結局、「国家補償」の文言は盛り込まれなかった。国家補償に基づく援護法を実現することで、再び広島、長崎の惨禍を繰り返さないとの国の強い意志表示を求めた被爆者の願いは今も実現していない。






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