| 2000/7/22 |
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初めて役割見えた 「ここに来て、初めてヒロシマの役割が見えた」。医療支援のため昨夏、カザフスタンを訪れた広島の市民グループ「ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト」。加わった若者の一人が現地の病院で、放射能の後遺症に苦しむ子どもを見て、思わず声を上げた。 カザフスタンのセミパラチンスクでは、ソ連時代の四十年間に五百回近い核実験が繰り返された。放射能を浴びた被曝(ばく)者は約百二十万人、このうち三十万人が、がんなどの後遺症に苦しむ、といわれる。 世話人代表を務める広島市西区の下崎末満さん(53)とカザフスタンのかかわりは、六年前の広島アジア競技大会がきっかけ。応援が縁で訪れた際、核実験の影響とされる奇形児のホルマリン漬けに衝撃を受けた。 長年の内戦で荒廃
初めて訪れたカンボジアは、約二百万人の大虐殺など長年の内戦で荒廃しきっていた。体が不自由になった人や孤児があふれ、道を外れると数え切れない地雷が埋まっていた。 国近さんは「ひろしま・カンボジア市民交流会」の代表。プノンペンに戦争被害者のための木工研修所や、虐殺や原爆を伝える資料室を備えた「ひろしまハウス」を建設している。市民からの募金だけで建てるやり方で、五年でやっと四階建てのうち二階部分の骨組みまでが完成した。 遅々として進まない募金に国近さんは最近、こんな思いを強くし始めた。「広島市民の間に、だれかがやるだろうという人任せの気持ちがあるように思えてならない」と。 セミパラチンスクとカンボジア。下崎さんと国近さんは、それぞれの国民の復興への懸命な取り組みを五十五年前の広島と重ね合わせる。「広島は世界からの援助で復活した。今度は恩返しをする番。それが平和の願いを広げることにもつながる」。二人の活動を支えるのはこの思いである。 現実とのギャップ 広島市の最高気温が今年二番目の三四・六度になった二十日、「インド・パキスタン青少年と平和交流をすすめる会」の事務局を受け持つ森滝春子さん(61)=佐伯区=は、市内の繁華街で街頭募金をした。炎天下で二時間立ち尽くしたが、実際にはそれ以上の疲れを感じていた。 核実験を実施したインドとパキスタンの青少年を広島に招き、核兵器の悲惨さを知ってもらおうという計画。メンバーや協力してくれた女子中高生たち約六十人が交代で趣旨を書いたチラシを配りながら募金を呼び掛けた。だが、チラシさえ受け取らない人も目立った。この日寄せられたお金は約四万三千円。 森滝さんは言う。「金額が多いかどうかは分からない。でも、外部から『被爆地広島』と言われ、平和を希求するイメージでみられている市民と実際の市民と、ギャップがあるように感じられてならない・・・」
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