| 2000/7/31 |
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三十一カ国五十八都市の市長が核兵器廃絶を訴えるメッセージ集が今春、米国で開かれた核拡散防止条約(NPT)再検討会議の際、核保有国などの政府代表らに配られた。メッセージは秋葉忠利広島市長が会長を務める「世界平和連帯都市市長会議」が、加盟都市から募った。 連携の弱さを露呈
四年に一回の総会と理事会、年二回の機関紙発行、核実験への抗議打電の報告以外、日常的な活動がない中での試みだった。事務局を担当する財団法人広島平和文化センターの浜本康男常務理事も「ネットワークを生かしきれていなかった。中には加盟しているのを忘れていた市もあるほどだった」と連携の弱さを認めた。 被爆体験の継承と核兵器廃絶を世界へ訴えてきた広島市。その平和行政の中核を、市の外郭団体である広島平和文化センターが担う。九八年四月に行った組織再編で、当時の平和文化センターと市国際交流協会、市直営だった原爆資料館を統合した。行革に併せ、平和情報発信機能の強化と似通った事業の統合による効率化が狙いだった。 原爆資料館の財団委託は波紋を広げた。被爆者団体は「平和行政の後退」と非難。組織一元化の利点を繰り返す市との溝が深まった。 財団委託から三年目を迎えた今、原爆資料館の畑口実館長は「やりたいことができるようになった」と効果をアピールする。展示資料の図録発行、被爆資料のデータベース化、原爆展の積極的な展開・・・。組織統合で啓発担当のセクションを新設し、資料館が発信機能を持てた、というのだ。 懸案だった学芸機能の強化についも、財団が今年四月に初めて二人の専門学芸員を採用した。平和問題に精通した人材も以前は市の人事ルールでほぼ三年で異動していたが、財団採用なら市のルールに左右されないのが利点だ。 幹部は市の天下り ただ、幹部ポストのほとんどが市からの「天下り」に頼っている現状は変わっていない。その派遣職員が三、四年で本庁に戻る人事もセンターとて例外でない。 急速に普及したメディアについていけない事態も出始めた。原爆資料館に国内外から寄せられる問い合わせなどの電子メールは、九八年度に二百八十一件だったのが、九九年度は九百七十一件と三倍以上に急増。本年度も六月までに四百三十四件、うち半数が海外からだ。しかし語学力のある職員が不足し、回答を受け持つのは嘱託職員一人だけという状態だ。 変化のなさを憂う 「これほど資料館へ期待が寄せられるのはうれしいが、現状では受け身にならざるを得ない」。畑口館長はもどかしさを隠さない。 資料館の外部委託に異を唱え、当時シンポジウムを開いた広島大総合科学部の田村和之教授は、そんな平和行政の変化のなさを憂う。「数十年先のヒロシマの方向性を資料館を中心としたセンターがどう描いているのか、いまだに見えてこない」 核兵器のない二十一世紀をつくるため、ヒロシマの進むべき道を切り開き、世界へどう発信すべきか。平和文化センターの再構築は始まったばかりだ。
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