舎の西約五百メートル、線路沿いに小さな石碑が建つ。一九五
四年三月三十日、可部線は加計駅まで開通。国鉄の敷設総延長が二
万キロに達したのを記念して設置された「国鉄2万キロの標」であ
る。
一八九四年、山陽線は広島に到達。加計の実業家を中心に広島―
浜田を結ぶ広浜線の敷設運動が始まった。一九一一年、可部に達し
た路線は順次延伸。戦争での中断を挟み、広島の復興への期待を受
けて加計まで開通した。
当時、坪野を含めた安野村は薪炭の一大産地として都市生活を支
えた。「都市と農村が力を分け合い発展できた時代」と地元の郷土
史家西藤義邦さん(65)。高度成長に向かい、バランスは崩れた。
沿線では新たな交流が活発化する。二月、坪野でも出身者を招き
「ふるさとを語る会」を開いた。可部線で約百人が集まり、きずな
を深め合った。十一月十八日の文化産業祭の参加も呼び掛ける。
「20000」の文字が薄れる碑は、そんな営みを見守るととも
に、鉄道マンの国土発展への気概と住民を運ぶ誇りを伝えているか
のようでもある。
(おわり)