中国新聞
タイトルロゴ「情熱のバトンリレー・モノづくり」

三島食品取締役
相談役

■逆境乗り越え業界大手に 戦後のふりかけ定着に道■

「温かいご飯にふりかけて、最後にお茶漬けにして食べると うまい」
三島哲男
みしま・てつお 広島市中区、84歳。三島商店を49年中区に創 業、53年法人化。資本金1一億2000万円。従業員520人。2000年 12月期の売上高は130億9000万円で前期比3.8% 増。91年に全国初のふりかけ博物館「楠苑」を出身地の千代田町に 開館。ふりかけのルーツを紹介するなど「日本の味」を広島から発 信する。県日中親善協会の副会長も務める。

 「難局を乗り越えられるか、やってみなけりゃ分からない。結果 を考えたら何もできない」。カルシウム不足だった戦後の日本にふ りかけを定着させた。業務用トップメーカーに成長するまでの道の りは「逆境」との戦いだった。

 13人兄弟の長男。高等小学校卒業後、すぐに広島の乾物屋に奉公 に出て、実家への仕送りに明け暮れた。兵役後は店を任されたが、 30歳のころ独立を決意した。「勤め人の給料では、とても家族を養 えなかった。いちかばちかの勝負だった」と振り返る。

 戦後の統制をいち早く解かれた唐辛子などの香辛料を販売。つく だ煮店などへ売り歩くうち、取引先で売り上げが伸びていたふりか けに注目した。「小さいさじで一杯の香辛料と大量消費されるふり かけとでは、売り上げが何百倍も違う」。瀬戸内海の幸も生かせ る、とふりかけの製造を始めた。

 当時のふりかけは「旅行の友」「遠足の友」と呼ばれ、魚粉を缶 に入れて家庭向けに売られていた。大手との競争に生き残るため、 価格の4割を占めていた缶の使用をやめ、量り売りを開始。ノリや ワカメ入りふりかけの開発、粉せっけんの小袋を応用した一食用ふ りかけなどにも取り組み、業績は伸びた。

 だが、1960年代後半から急に売れ行きが止まり、売り上げは 前年に比べて15―20%落ちた。借金返済のため、金利だけで売上高 の7%も払ったこともあった。

 「会社がつぶれても従業員が生きていけるように」。現在18店を 展開する総菜店「サラヤ」やボーリングなどができるミスズガーデ ン(佐伯区)など多角化を始めたのも、このころからだ。

 「会社の将来は社長である息子が決める。私は病気をせず、若い 人の邪魔にならないようにする」と話すが、80歳を超えた今も月1 回は東京で得意先を回る。年に4、5回は中国・大連工場へ視察に 出かける。

 「厳しい時代だと言われているけど、新しい事業に挑戦できるチ ャンスでもある。何年かたてば、そんな時代だったな、と振り返っ ているだろう」。将来を見据える視線の鋭さは、まだまだ現役だ。

(岡本玄)

広島情熱人列伝
技術のマツダ 世界に示す

 松田恒治(1895―1970年)=マツダ(旧東洋工業)の 2代目社長

松田恒治  19年間社長を務め、ロータリーエンジンの開発などで「技術力の マツダ」を世界にアピール。大手自動車メーカーの一角に押し上げ た。
 「無駄を省いてぜいたくを」というのが生活信条であり、経営理 念だった。単に節約を美徳とするのではなく、合理性の追求に重点 を置いた。
 かつて立ち上げた宇品第二工場(広島市南区)は昨年9月に閉 鎖。今は世界規模での生産体制の再構築を迫られている。「何気な い事柄を見直して省いた無駄をぜいたくに回せば、より高いレベル に到達できる」との言葉が、重みを一段と増している。

欧風パンを全国に広める

 高木俊介(1919―2001年)=タカキベーカリー創業 者、尾道市出身

高木俊介  「食卓に幸せを運ぶ」をモットーに「アンデルセン」「リトルマ ーメイド」などを展開。欧風パンを広島から全国に普及させた。
 冷凍パンの技術特許を公開し、量産化の道を開拓。「ニーズに対 応して物を作るのでは遅すぎる。真のニーズはいまだ世の中に現れ ていないもの」。豊かな食文化、その提案を生涯追い続けた。
 「被爆建物が次々と壊される中、時代に合った活用をするのが課 せられた使命」。被爆建物の広島アンデルセン(中区)は4月に改 装オープンされるが、その遺志は引き継がれている。

80歳超え今も陣頭指揮

 筒井数三(82)=シンコー社長、広島市中区

筒井数三  船舶用ポンプで世界シェアトップのメーカー。「造船王国日本」 を支えてきた企業の一つで「独自の技術力をいかに持つかが勝負を 分ける」と、欧州勢の追撃にも揺るがない。
 38年創業の2代目社長。80歳を超えた今も、陣頭指揮を執る。荷 役用ポンプ、各種蒸気タービンの両方を設計から一貫生産する強み を発揮し、ナンバーワンの座を堅持する。
 21世紀は「環境対策の世紀」とみる。「世界のエネルギーは今 後、石油、石炭から環境に優しい液化天然ガス(LNG)に変わ る。それに対応した製品多角化が生き残りのカギを握る」


ひろしま情熱人列伝
お好み焼きを国内外に発信

 佐々木尉文(62)=オタフクソース社長、広島市西区

佐々木尉文  原爆で壊滅した広島の復興を象徴するお好み焼きを国内外に発信 し続ける。「栄養バランスが良く安い。給料日前には売り上げが伸 びるなど、不況に強い食べ物」と強調する。
 主力のお好みソースをはじめ、グループ企業では青のりなど関連 商品も取り扱う。「ソースだけに頼っていてはいずれ駄目になる。 作って売るのではなく、使ってもらえるモノを作る」。
 顧客からの要望で商品化した調味料は、昨年だけで500種類。 「成長しうる種はいくらでもある。困ったときは市場に聞けば、道 は開かれる」

ラジコンへ転換 世界一に

 松坂敬太郎(55)=ヒロボー社長、府中市

松坂敬太郎  73年に紡績業から撤退。ラジコンヘリコプターの製造に転換し、 世界のトップメーカーに育て上げた。「撤退する勇気、あきらめな い根気」を強調する。
 ラジコンヘリも利益率が低下傾向で、産業機械に進出を図ってい る。「技術力を生かした高付加価値の製品を手掛けたい」
 中国地域ニュービジネス協議会会長として、新規事業創出やベン チャー企業の育成にも努めている。「産学官の連携強化やベンチャ ーを受け入れる社会システムの構築が急がれる」と説く。

世界最先端の技術に挑む

 戸田俊行(51)=戸田工業社長、広島市中区

戸田俊行  国際競争が激化する素材産業。「企業の在り方が問われている。 新しく生まれ変わらねばならない」と表情を引き締める。
 創業179年目。江戸時代始まった酸化鉄の利用は、時代ととも にビデオテープやプリンターの着色材料などに拡大。世界最先端の 一インチハードディスクの製造に取り組む。
 今、期待を寄せるのは情報技術(IT)と環境分野。「製品の販 売にとどまらず、関連する技術やサービス、情報も提供していく」