1928年アムステルダム五輪で日本初の金メダリストとなった 陸上・三段跳びの織田幹雄をはじめ、広島は数々の名選手を輩出し てきた。76年のモントリオール五輪以降はメダリストが生まれず、 輝きを失いかけていた「スポーツ王国」に待望の新星が現れた。 為末大。昨年8月、カナダ・エドモントンであった世界陸上選手 権男子400メートル障害3位。日本陸上史上初のトラック種目メダ リストである。 五日市中3年、皆実高3年で日本一の表彰台に登り、いずれも中 学、高校記録をマーク。大学4年で迎えたシドニー五輪でこそ転倒 という結果になったが、翌年の世界選手権では驚異的な日本記録で 銅メダルである。 中、高、大と最終学年には必ず何かをやり遂げてきた。169セ ンチの身長は世界で大きなハンディだ。それでも計画性や目標実現 への底力はいつも周囲を驚かせた。「巡り合わせの運もあった。で も、運は自分で切り開くものとも思っています」 世界3位にいたるまで順風満帆だったわけではない。高校でも大 学でも、故障や極度のスランプに苦しんだ。「為末は終わった」と 陰口をたたかれたことさえある。「勝てないことに加えて、髪を染 めたり、ピアスを入れたりして、いろいろ言われた。でも、結局、 それもエネルギーになったんだと思う」 「反骨心」が為末を強くした。壁に当たっても記録を伸ばし、勝 利を引き寄せることができたのは、「このままでは終わらない」と いう強い意志の持続にほかならない。 「気持ちが続いたから結果が出せた。これからもきっと、そんな ことを繰り返すんだと思う」 4月からは大阪ガスに入社。ハンマー投げの室伏広治に続くプロ 選手申請も頭にある。世界が狙える位置にたどりついた今、周囲は 打って変わって称賛の嵐を浴びせている。だからこそ、自分で自分 にプレッシャーを与えようとしている。新たなエネルギーを得るた めに。 「アテネ五輪? 当面の目標はそう。でも、30歳で迎える北京五 輪に最高のピークを持っていきたい。勝つために」 広島から世界へ。為末が五輪でのメダル、そして世界一へのハー ドルを飛び越えた時、「スポーツ王国・広島」も輝きを取り戻す。 (小笠喜徳)
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