パイプオルガンの調べが響く。色彩豊かな光が注ぎ込む。パリの
中心にそびえるゴシック建築の傑作、ノートルダム寺院。その大聖
堂には「ばら窓」と呼ばれる円形の大型ステンドグラスが三面あ
る。
正面から見える西のばら窓は直径十メートル、側面にある北と南
のばら窓は直径十三メートル。日差しを受けて輝く様子は幻想的で
ある。
中でも、「北のばら窓」は一二五二年の制作当時の姿をそのまま
とどめる。基調色は夜明け前を示す青紫。図柄は、幼いイエスを抱
いた聖母マリアと、二人を囲む八十人の聖者たちである。
寺院の名「ノートルダム」は「われらの貴婦人」の意味。フラン
スでは親しみを込めて聖母マリアをこう呼ぶ。つまり大聖堂は「女
性の中の女性」とされるマリアにささげられた建物である。そして
バラは「花の中の花」と称される。
そんな背景を持ちながら、大聖堂の壁に花開く「ばら窓」。しか
し聖書に登場するマリアゆかりの花はユリ。なぜ「ばら窓」なのか
―。

大聖堂正面入り口わきに施されたバラの彫刻
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ノートルダム寺院の布教担当者アリアンヌ・サンマルクさん(58)
に助けてもらい、キリスト教とバラのかかわりを調べてみた。する
と、意外なことが分かった。
初期のキリスト教では、トゲのあるバラは「邪悪な花」とされて
いた。布教者たちは、自分たちを迫害するローマ人のぜいたくな暮
らしを象徴する異教の花として嫌っていたのだ。
しかし、キリスト教がローマ帝国に公認されると、「バラには元
来トゲがない」とする教えが登場し、教会はバラを徐々に取り入れ
ていく。
四世紀の聖人アンブロシウスは「トゲは、アダムとイブがエデン
の園で犯した原罪を忘れぬよう神が新たに加えた。一方、楽園を表
す気高い姿と香りは残された」と説教したと伝えられている。
「邪悪な花」から「気高い楽園の花」への変身。赤バラは殉教者
の血を象徴し、白バラは聖母マリアの純潔のシンボルとされた。背
景には、禁じてもなお人気が高いバラを布教に活用する意図があっ
たとも言われている。 |

バラとのかかわりを語るアリアンヌさ
ん
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十二世紀に入ると、バラは西欧で一層脚光を浴びる。十字軍のエ
ルサレムなどへの遠征の結果、香りの良いダマスクバラやその香油
が、イスラム圏からもたらされ、急速に広がり始める。
そしてフランスでは、十三世紀にかけて、土俗信仰とキリスト教
が結び付き、聖母マリア信仰が一気に広まった。そんな時代に、ノ
ートルダムの大聖堂は建てられ、マリアにささげるバラ窓が取り付
けられた。
北のバラ窓は、フランス王ルイ九世の母ブランシュ・ド・カスチ
ーユが作らせた。息子ルイはそのころ、第六回の十字軍(一二四八
〜五四年)を率いてエジプトに遠征中。捕虜になるなど辛酸をなめ
た。
「彼女は、自分や息子が天国へ行けるよう、世界で最も美しいバ
ラをマリアに贈ったのよ」。アリアンヌさんは身ぶり手ぶりの熱弁
を振るった。
ノートルダムを去る前にあらためて大聖堂の真ん中に立ってみ
た。正面の壇上には、はりつけの刑で死んだイエスを抱く「悲しみ
の聖母像」。その台座や金属製のさくにはバラの文様。左右に目を
転じると、極彩色に輝くばら窓があった。
トゲのないバラが咲くという天上の楽園から降り注ぐ光は、どれ
だけ多くの人々を魅了してきたのだろうか。観光客たちのため息が
聞こえた。