中国新聞
2002.5.21

好きだった 芦田川越しの風景  夢に追い付くまで まだ道半ば

 あんたのバラード」で衝撃デビューを果たして二十五年。世良公則は今でもミュージシャン「SERA」にこだわる。「役者で顔を売って、昔の余波で適当に歌って…」。そんなレコード会社の方針に悩んだこともあった。
 ミュージシャンを目指しながら、境内や喫茶店の地下室で練習に励んだ、ふるさと福山の記憶。「ファンタジーでも夢物語でもない僕の歌を、自分のフィルターを通して伝えたい」。混迷した時代へのメッセージを、アコースティックギター一本に込める。

(文中敬称略)

「びんご人国記 ふるさと応援団」

ミュージシャン
世良 公則さん
(46)

 「この国民にして、この政治家あり」「政治の世界は、何ともお寒い限り」―。自身のホームページには、政治への発言が随所に飛び出す

Photo「世良公則」
  せら・まさのり
55年
福山市生まれ
74年
広島県立葦陽高を卒業し、大阪芸大に入学
77年
「あんたのバラード」で第8回世界歌謡祭グランプリ。ツイスト結成
82年
ソロ活動開始
98年
映画「カンゾー先生」で2度目の日本アカデミー賞助演男優賞を受賞
01年
自主レーベル「スパイキュール」設立

 音楽家だけど、その前にひとりの社会人。だから、政治に興味を持つのは当たり前。珍しいことでも、特筆すべきことでもない。特筆する、そんな日本がおかしい。

 そもそも社会があって自分がある。決して切り離すことは出来ない。それにしても、今の状況は悪すぎる。今度の「みずほ銀行」の失態にも、国民はもっと怒らないと。そう思いませんか。

 昨夏、原爆がテーマの絵本「夾竹桃(きょうちくとう)物語・わすれていてごめんね」に接した世良は、自作「風の気持ち〜love in my soul」を、広島市の平和記念公園の夾竹桃前で、つま弾いた

 原爆は大きなテーマだけど、もっと身近なものとして、伝えたかった。「夾竹桃」に出合い、過去を振り返るだけでない、今に息づくものへの大切さを感じた。小さなイベントだったけど、自分なりのメッセージを発信できたんじゃないかな。でも、社会貢献をことさら、意識しているわけではない。テーマに賛同できれば、表現者としてもっと出ていきたい。

 福山に生まれ育った世良は、ふるさとを「奇妙なバランスに立った町だった」と表現する

 芦田川越しに見えたNKKの工場からは、高度経済成長を象徴する黒煙が立ち上っていた。反対側には、遠方で鞆の浦の街並みも見えた。こんな風景が好きで、福山だなあと感じていた。

 確かに当時は、町に活気があった。僕たちのようなアマチュアバンドが、あちこちで生まれた。その福山も、元気がなくなったみたいだね。高校時代、あれほど人であふれていた商店街もシャッターの下りた店舗が目立つようだし。

 ミュージシャンとしての路線に悩んだ末、あえてアコースティックを選んだ。楽器本来の音色を機械で増幅させない姿勢は、成長主義へのアンチテーゼにも思える

 大型を競う時代ではない。失敗した時のリスクも大きすぎる。小さくても、活力のあるものは可能。ネットの世界では一人からでも出発できる。個々が面白いことをやり、東京までも取り込む。福山にはそんな進取の気風があったはずだ。

 ただ、情報の一元化が進むだけに、「独創的な福山」を出すのは難しくなった。かっこよく言えば、「オレたちはこれで勝負するんだ」という気概こそ大切じゃないかな。

 毎年断っていた「ザ・ベストテン」の特番に、昨年末ついに出演した

 今の世良でもOKになったから。ツイストの世良で満足なら、みんなの思い出の中だけで生きればいい。追い続けた夢に追いつくまで、まだまだ道半ば。日常を作り出す感性の発信が、僕たちの役割と思う。

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