役者人生も、半世紀になる。ニューヨークやロンドンでも舞台を
経験した
|
|
みたに・のぼる
|
32年 |
福山市生まれ |
51年 |
広島県立葦陽高を卒業後、文学座に入る |
70年 |
黒沢明の「どですかでん」に出演 |
75年 |
演劇集団「円」の結成に参加 |
91年 |
「おろしや国酔夢譚」の海外ロケで、ロシアへ |
ニューヨークでの「はだしのゲン」は、現地でも好評だった。ど
んな反響か心配だったけど。受験に失敗して、「文学座」に拾われ
た。いくら才能があっても消える人は多い。僕は本当に恵まれてい
ると思う。
高校の先輩で、亡くなった友竹正則さんに誘われて、演劇部に入
った。高校三年生の時には、地元のコンクールで優勝した。二位が
上下高校の平幹二郎君だった。高校時代は、僕の方が才能があった
んでしょうね。
終戦前の福山大空襲は、今も鮮明に覚えているという。中学一年
生だった
八月八日、B29の爆撃で、火の海になった。パンツ一枚で逃げ出
した。親兄弟ともはぐれ、芦田川の土手を逃げ回った。その芦田川
では、いつも父が投網をしていた。その時代に食べた魚の味は、炎
上する前の福山城の素敵な姿とセットで、ずっと忘れられない。仕
事柄、全国各地を回ったけど、街並みは今はどこも同じ。内装は変
えても、外観はそのままに残してほしい。
「文学座」に入った三谷。芽が出るまでにはかなりの歳月を要し
た
入団十年目の二十九歳、自動車事故で視力が片方なくなった。こ
れが、一回目の転機だったとすると、もう一つは、黒沢明監督の
「どですかでん」に呼ばれたこと。これで一人前と思ったのも束の
間、声がかかったのはポルノ作品だけ。実際に出演すると、現場は
活気に満ちていた。それまでは色眼鏡で見ていた自分が恥ずかしか
った。
昔は、才能がないとのコンプレックスもあったけど、今は、花に
なる人もいれば、枝や葉になる人もいる、と思っている。自分を使
ってほしいと、売り込まない代わりに、誘いがあったら、首を横に
は振らなかった。
「先生、私今年、還暦です」―。亡き高校時代の恩師への追悼文
で、「おろしや国酔夢譚」ロケ地となったロシアについても言及し
ている。ソ連解体のころである
イルクーツクなど、激動のロシアに百日間も滞在したけれど、彼
らの表情はみんな明るかった。人間って、飢えている方が豊かなの
でしょうか。豊かになれば、心は貧しくなるのでしょうか―。敗戦
直後の福山駅前のことを思い出して。
せりふを覚えるのは、もっぱら電車の中という三谷。乗るのは、
急行から各駅停車に変わり、今は二往復を要することも。そんな三
谷にとって、芝居とは―
一休さんのおまんじゅうと同じで、四つ、五つに分けて、どれが
おいしいかと言われても同じ。どの作品にも、それぞれに愛着があ
って…。もちろん全部消したいこともあるけど、努力と評価は必ず
しも比例しない。
少しかっこよく言えば、片目を失ったけど、逆に、役者として、
人間として物事を広く見ることができるようになったのかも。
|