中国新聞
2002.12.5

在野に徹し社会を追及/常に「現場」深層の真実探る

 TBSを退職後、設立した番組プロダクションで、吉永春子が取 り組んでいる番組は「マネー」と「兵器」である。マネーでは、不 良債権の実態を追い、いわゆる「竹中ショック」も今、手がけよう としている。両方とも、ほとんど儲(もう)けにはならないBSデジタルで の放送だ。
 巨大病院、警察モノ、五つ子の成長記録…。会社代表の立場か ら、視聴率確保の番組も作らざるを得ない。それでも社会派モノに はこだわり続ける。あくなき探究心、いつまでも続くバイタリティ ー、その源にあるのは「在野に徹する自分」という。

「びんご人国記 ふるさと応援団」

テレビディレクター
吉永 春子さん
(71)

 十六歳で、古里・三原を飛び出して五十五年。この夏、久しぶりに 見た古里に、かつての面影はなかった

Photo「吉永春子」
  よしなが・はるこ
31年
三原市本町で生まれる
51年
県立三原女学校を経て、日本女子大付属高を卒業
55年
早稲田大教育学部卒業後、TBSに入社。社会派番組などを手がける
91年
社会情報局長などを務めた後に退社。番組プロダクション「現代センター」代表取締役
96年
帝銀事件を題材にしたノンフィクション「謎の毒薬」を発刊

 本町通りを通ると、空き家があちこちに出来ていた。子どものこ ろは、履物屋や呉服屋、菓子屋が並んで、商売人が生きている町だ った。登下校のとき、貧血を起こした私に、「春子ちゃん寝て行き んさい」と、声を掛けてもらっていた。本町通りは、そんな人情味 のある商店街でもあった。

 実家の倉庫にあった古雑誌が、吉永の将来を大きく変えた

 価値観が大きく変わった時代だった。ぼんやりと過ごしていたけ ど、本だけは読んでいた。特に古雑誌をね。「二・二六事件の真 相」とか、大衆雑誌の事件ものばかり、あまりに熱中するので、 「ちょっとおかしくなったのでは」と言われたことも。今の職業を 選んだ原点は、この倉庫にあったのかもしれない。

 入社後、徹底的に「現場」にこだわった

 最初、配属されたのはラジオ報道局。ちょうど労働争議などが起 きていた時代だった。その後、やっと任されたドキュメンタリーで は、風呂屋の値上げ問題を手始めに、松川、下山事件など、政治の 世界のハードなルポも手がけた。根底にあったのは、地下に隠れた 部分を知りたいという思い。見えないからこそ面白い。表の部分な んてどうでもいいとね。

 TBSの晩年は、部長や局長にもなった。でも、現場に残りたか った。部長会も最初の五分間出ただけ。「それがいやだったら首に してくれ」と言ったりもした。

 広島県生涯学習審議会委員も務める

 広島のスポーツ環境は恵まれていると、あらためて感じた。アジ ア大会級の国際大会があった町なんて、日本に幾つもない。野球、 サッカーのプロ球団もある。ローズアリーナ(福山市)やびんご運 動公園(尾道市)など施設もそろっている。弱点は指導者の少なさ だが、多くの協会がコーチ養成に取り組んでいるので、将来は克服 されそうだ。

 八年前に亡くなった父は長年、地元で商工会議所会頭を務めた

 その父の影響は少なからず受けている。アイデアマンだったと思 う。本郷に広島空港が完成した時も、「三原でも、何か商売ができ ないか」と言っていた。定年後、独立して番組プロダクションを立 ち上げた時に「銀行からは金を借りるな」との教えも守った。

 尾道に比べて、知名度の低い三原。活性化のための打開策は―

 観光の番組を作って、三原をもっと宣伝してほしい、と頼まれた りもした。本当に、人を寄せ付ける歴史があるのならともかく、そ うでないなら、三原で作っているもので勝負をすべきだ。例えば、 タコ、アナゴ、オコゼ…。こんなにおいしいものがほかにあるのか と思う。都内に、これらを売るアンテナショップを作るなど、外に 打って出ることも必要では。

 もう十五年も前から、追っているモノがあるという

 現代の最先端を行く医学、ハイテクの研究と、その背後に潜む人 体実験に焦点をあてた番組を、ぜひ作りたい。自分が最後まで成し 遂げることができるか分からないが、しっぽだけはつかみたい。多 分、米国に長期出張しての取材になると思うけど…。

(文中敬称略)
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