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中国山地
明日へのシナリオ
2020年を見据えて
2002.10.21
 中国山地が先行してきた人口減少・少子高齢化の流れは、日本全体を覆う時代に入った。だからこそ、シリーズを通して紹介してきた山地で生きる多様な試みは、明日の日本社会のモデルにもなり得る可能性を持つ。だが、人口減少に伴うマイナス面への対策抜きには実行・継続は難しい。その対策の柱として、生活の基礎単位である集落の機能をどう再構築していくか、という知恵が問われているのである。
(中国山地取材班)
人口減推計トップの島根県匹見町にみる

3戸・4人限界の共同体

「明暗」生んだ時間距離 国道沿いではIターンも

 二〇〇〇年から二〇二〇年の推計人口減少率が55.7%と、中国地方の三百十八市町村のトップとなった島根県匹見町。かつて過疎対策のモデルといわれた時代もあった町でなぜ、なお人口流出は続くのか―。集落を歩き、流出対策に頭を悩ます役場を訪ねた。

たった3戸に減った栃原集落。もう1戸は50メートルほど離れた山際にある
 標高四〇〇メートルの谷あいにある匹見町石谷地区の栃原集落。一人暮らしの大賀マスヨさん(79)は自宅前の谷川そばの畑で、ワサビの植え付けに精を出していた。

 ゆっくりゆっくり、マイペースの作業。「この年になって作りよるのは、私ぐらいでしょうか。これが生きがいですけえ」と笑顔を見せた。

 ワサビ栽培三十年。病床の夫を介護しながら五人の子どもを育てあげた。今は年金も入るが、ワサビづくりは体が続く限り、との思いが強い。

  ■ 

 町営バスが唯一の交通手段である。二週に一度の診療所通いに利用するが、足が悪いためバス停までの六百メートルが難儀という。食料品は週二回の移動販売車が頼りだ。

 栃原には一九六〇年代前半、隣の谷と合わせて六戸ずつ計十二戸、七十人余りが暮らしていた。一人暮らしのお年寄りが亡くなった五年前から、三戸、四人。すぐ隣が親類の八十歳代の老夫婦。五十メートル離れた山際が、森林組合で働く六十八歳の男性である。

 「もう共同でやることもない。姿を見んと『おるかね』と電話するぐらいですいね」。集落らしい仕事といえば、役場からの連絡を回覧板で回すくらい。

 不幸があった時は隣の後谷集落(七戸)と互いに手間を融通しあうことになっている。小さな集落同士、それも負担のようだ。「近所に迷惑を掛けられんとゆうて、益田の病院でなくなったら、あっちで葬儀を済ます家もあるんですよ」

  ■ 

 栃原は中心部の役場からは約二十二キロ。国道488号を途中から、匹見川支流の石谷川にそった離合の難しい町道を八キロ入ったところで、さらに細い取り付け道路を六百メートルほど上る。

 石谷地区の中で、栃原など五集落は内谷自治会を組織している。だが、行き止まりの谷筋に入る集落も多く、共同で行う作業などはほとんどない。

 旧村単位の地区が一つの自治会として活動しているのが、道川地区である。六集落、戸数七十五戸、百九十七人。国道191号と改良された県道に沿った各集落は、ほぼ平たん地にまとまり、相互に行き来も楽だ。

 ほ場整備に合わせて二集落と、三集落を単位に二つの営農組合も組織している。秋の文化祭、運動会など地区単位の行事も盛んである。

 集落単位でみれば戸数は最多で十八戸、最少で六戸。葬式は集落ごとに続けているが、常会を廃止したり宮の世話をやめるところも出てきた。

 戸数が少ない一集落の葬式には隣接集落から手伝いが出る。女性の負担を減らそうと「おとぎ」を身内にしか出さないなど、地区全体で簡素化を申し合わせている。時代に見合うよう集落の慣習も見直している。

 自治会副会長の秀浦昭美さん(58)は「昔と違って皆の行動範囲も広がってきた。そんな時代にいつまでも集落、集落と言わん方がええ」と問題提起する。

  ■ 

 道川地区にとって、六年前に国道191号が全面改修された意義は大きかった。益田市との時間距離がそれまでの半分近い三十分になり、「道川神楽が大好き」という若者がUターンしたり、四年前には茨城県から切り花栽培の夫婦がIターンしてきた。

かつて多くの農家の家計を支えたワサビ「これが生きがいです」と今も細々と作り続ける栃原の大賀さん

 かつて十一あった集落は、移転や統合などでほぼ半減したが、ここに来て、人口減少に歯止めがかかるのではないかと、皆の期待は大きい。

 今、自治会には新しい事業も持ち上がっている。国道沿いの出合原に町が計画中している「出合の里・ミニ道の駅」の管理運営を委託されることになったのである。

 それに合わせて、県の「中山間地域集落百万円交付事業」で六集落が受け取った六百万円を自治会で一括利用し、もちや大豆の加工施設の建設費に充てる予定という。

 「集落でばらばらに使うより、まとめた方が効果が大きいですいね」と自治会長の三浦冨士義さん(56)は強調する。

 二つの地区を歩いて、痛感するのは集落の立地条件の違いが、いや応なしに生み出す明暗である。同じ中国山地でも、こうした形で新たな線引きが続いているのだ。

 森林面積96%

 《匹見町》一九五五年二月に道川と匹見上、匹見下の三村が合併して誕生し、翌年町制を施行。高度経済成長期、挙家離村による人口流出が著しかった西中国山地の町村の中でも、際立つ存在だった。

 二〇〇〇年の国勢調査では八百六戸、千八百三人と、ピークの四分の一に減っている。森林面積が96%と中国山地の町村の中でも平たん地が少なく、主力産業の林業とワサビの不振が追い打ちをかけた。

 町は国定公園匹見峡を軸に交流人口の拡大に力を入れている。匹見ウッドパーク、匹見峡レストパーク、匹見峡温泉やすらぎの湯、夢ファクトリーみささ、巨大迷路などを相次いで整備した。

 ワサビ製品は今も町の特産。豊かな広葉樹林を生かした木工製品づくりも広がっている。

町役場の対策 集落の統合・移転検討

 匹見町の集落は河川や谷筋に沿って形成された「河川集落」に特徴がある。全四十六集落の大半が匹見川やその支流に沿って点在する。道路改良が各地で進んだ中国山地にあっても、なお条件の悪い地域といえる。

 町によると、集落の機能維持が困難とみられる二十戸未満の集落が三十三と七割を超す。そのうち消滅の恐れもある戸数一けたの集落が十六。こうした小集落は栃原のように、住むのはほとんどお年寄りという例が多い。

 町は人口流出が激しかった一九七〇年代、広島県境の広見や道川地区の赤谷、芋原など四つの集落の集団移転と、集落の運営をまとめる二件の統合を実施。自然消滅の二件を含めて、十一の集落が消えた。

 奥地の集落に通じる道路の改良とマイカーの普及もあって、その後は移転、統合はない。住み慣れた場から離れる集団移転にその後、住民の不満も出たこともあり、これまで町は集落対策には消極的だった。

 だが、集落は今も静かに老い、一戸、二戸と抜けていく。住み続ける住民の孤立感は募る。

 「あくまで住民の意思次第だが、手を打つ時期に来ている」と斎藤惟人町長。「まずは隣り合う集落同士の運営を一本化する統合から呼びかけたい」と言う。

 統合によって運営戸数が増えれば、道路清掃などの共同作業や祭りなども維持できるからだ。

 町営バスの路線をきめ細かく延ばすことも検討する。集落移転も「住民同士の話がまとまれば、町営住宅を建てて対応できる」との姿勢だ。

 「一人になっても住み続けたいという住民がいれば、その暮らしを支援していく」。斎藤町長は、そういう視点で集落対策を考えている。


暮らし支える集落再構築

自治組織の再編
 戸数減少の影響深刻 地域おこし担う受け皿

 人口減少の影響はまず集落に表れる。とりわけ五戸、十戸と細っている小さな集落では、一戸の減少ですらこたえる。冠婚葬祭の基礎単位としての機能も維持できなくなった集落は、さらに縮小への引力が働きやすい。自治体は今、集落の再編成によって新たな道を探ろうとしている。

 前回の中国山地シリーズの取材から十八年。あらためて訪ねた集落のほとんどは、ほぼ人口も戸数も減っていたが、戸数の減少にはある傾向がうかがえた。

 五十、六十戸とある程度まとまった集落は、世帯人口は減っていても、戸数自体の減少は数戸単位という例が多かった。一方、戸数が一けたから十台という集落は、半減しているのも珍しくなかった。

 戸数が多い集落はもともと地形的にもめぐまれ、まとまりやすく、比較的中心部にも近いという特徴がある。小規模集落は、谷筋などに点在しており、交通の便が悪い。ここ二十年ほどの間に、たいていの町村道は舗装は進んだが、車一台がやっと通れるだけといった道が多いのも、流出の誘因として働いた、とみることができる。

 島根県中山間地域研究センター(赤来町)は、こうした集落のうち町村境に位置する集落を「縁辺集落」として、その平均モデルの将来像を描き出している。

過疎地域の集落数
 10年ごとに時限立法で制定されてきた過疎法は2000年4月、過疎地域自立促進特別措置法として3度目の延長に入った。新法によって中国地方では318市町村のうち、174市町村が過疎地域の指定を受けた。

 過疎地域の集落数は継続的調査はない。自治体でつくる全国過疎地域活性化連盟(2000年4月から現全国過疎地域自立促進連盟)が、新法の制定に向けて97年時点で調査したところによると、中国地方の過疎市町村の集落数は9617。

 県別(カッコ内は市町村数)は広島2972(54)▽山口1747(28)▽岡山2465(41)▽島根1945(38)▽鳥取488(12)。

 対象は一九九七年時点で、高齢化率が30%を超える島根県中央部六町村から抽出した十八集落。平均すると、一集落は二十一戸、六十二人、高齢化率は41%。これが十五年後の二〇一三年には十三戸、四十四人、高齢化率45%と、世帯で四分の三、人口で三分の二以下に激減するという。

 藤山浩主任研究員は「農地や山林、家屋の管理者がいなくなる。社会的にも環境的にも非常に大きな影響をもたらす変化がそこに迫っている」と指摘する。

 八三年に八つの振興区制度を導入した広島県高宮町に続き、広島県作木村は九七年に八十四の集落を、公民館の分館単位の二十戸から九十九戸の自治組織「行政区」としてまとめた。冠婚葬祭から都市交流などの地域おこし活動も担う。市町村合併もにらみ、住民自治組織としての集落再編は今後、各地に広がるだろう。


人口・高齢化の推計

 9割の市町村 人口減

山間部での格差広がる

 二〇〇七年を境に減少に転じる、と推計されている日本の総人口。中国地方でみれば、中国山地に象徴的に表れてきた人口減と少子・高齢化の波が周辺にも及ぶ一方、山地での地域間格差がさらに拡大していく、という図式になるだろう。その変化をシンクタンク、中国地方総合研究センター(広島市中区)の推計をもとに、二〇二〇年時点の姿で描き出してみたい。

 まず人口減少率から。推計人口は中国地方全体で七百十七万人と、二〇〇〇年からの二十年間で7.2%減少する見通しだ。そのうち過疎地域は26.3%という大幅な減少が見込まれる。

 三百十八の市町村別では、増加はわずか三十一。残り九割は減少する。百七十四の過疎市町村はみな減少組だ。減少率40%以上の二十町村はすべて過疎地域である。中国山地と瀬戸内島しょ部の過疎町村ほど減少率が高い。

 減少率一位は中国山地の島根県匹見町(55.7%)である。二〇〇〇年の千八百三人が七百九十八人と、半分以下に激減する。続いて瀬戸内の広島県の豊浜町(55.0%)と豊町(49.7%)、山地の岡山県奥津町(48.3%)が上位を占める。

 高齢化率をみると、中国地方全体では二〇〇〇年の20.6%が二〇二〇年に29.9%。過疎地域では33.0%が41.2%に上昇する。

人口減少率・高齢化率の市町村分布
2000-2020年減少率 2020年高齢化率
60%
以上
50-60
%未満
40-50
%未満
35-40
%未満
30-35
%未満
30%
未満
<増加> 31( 0)         9(0) 22(0)
10%未満 40( 5)     2( 0) 5( 3) 20(2) 13(0)
10-20%未満 82(30)   1( 1) 13( 9) 32(13) 31(7) 5(0)
20-30%未満 88(67)   3( 2) 36(34) 40(25) 9(6)  
30-40%未満 57(52)   10(10) 40(36) 7( 6)    
40-50%未満 18(18) 5(5) 4( 4) 7( 7) 2( 2)    
50%以上  2( 2) 1(1) 1( 1)        
318(174) 6(6) 19(18) 98(86) 86(49) 69(15) 40(0)
(カッコ内は過疎地域)

 市町村別のトップは豊浜町(74.2%)。山地の島根県羽須美村(61.1%)と山口県美川町(64.6%)が続き、60%以上が六市町村。人口減少率一位の匹見町は6.8ポイント上昇して50.8%になる。

 現在、高齢化率日本一として有名な瀬戸内の山口県東和町は、52.6%と2ポイント増えるだけで、十位台に落ちる。それだけ高齢のすそ野の広がりはすさまじいわけだ。

 中国山地では、分水れいに近いほど人口減少率、高齢化率とも高い。地形的な制約、周辺の都市との時間距離の違いが今なお、居住条件の格差として作用していることをうかがわせている。

 中国新聞の「中国山地」シリーズが始まった一九六六、六七年は高度経済成長のさなか。山地の過疎化と裏腹に瀬戸内側の人口増が目立っていた。二度目の中国山地シリーズの八四、八五年当時は低成長時代。山地の人口流出のペースは鈍ったものの、一足早く高齢化社会が始まっていた。あれから十八年。少子・高齢化はもう中国山地の代名詞ではなくなった。  

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