| 人口減推計トップの島根県匹見町にみる
3戸・4人限界の共同体
「明暗」生んだ時間距離 国道沿いではIターンも
二〇〇〇年から二〇二〇年の推計人口減少率が55.7%と、中国地方の三百十八市町村のトップとなった島根県匹見町。かつて過疎対策のモデルといわれた時代もあった町でなぜ、なお人口流出は続くのか―。集落を歩き、流出対策に頭を悩ます役場を訪ねた。
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| たった3戸に減った栃原集落。もう1戸は50メートルほど離れた山際にある |
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標高四〇〇メートルの谷あいにある匹見町石谷地区の栃原集落。一人暮らしの大賀マスヨさん(79)は自宅前の谷川そばの畑で、ワサビの植え付けに精を出していた。
ゆっくりゆっくり、マイペースの作業。「この年になって作りよるのは、私ぐらいでしょうか。これが生きがいですけえ」と笑顔を見せた。
ワサビ栽培三十年。病床の夫を介護しながら五人の子どもを育てあげた。今は年金も入るが、ワサビづくりは体が続く限り、との思いが強い。
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町営バスが唯一の交通手段である。二週に一度の診療所通いに利用するが、足が悪いためバス停までの六百メートルが難儀という。食料品は週二回の移動販売車が頼りだ。
栃原には一九六〇年代前半、隣の谷と合わせて六戸ずつ計十二戸、七十人余りが暮らしていた。一人暮らしのお年寄りが亡くなった五年前から、三戸、四人。すぐ隣が親類の八十歳代の老夫婦。五十メートル離れた山際が、森林組合で働く六十八歳の男性である。
「もう共同でやることもない。姿を見んと『おるかね』と電話するぐらいですいね」。集落らしい仕事といえば、役場からの連絡を回覧板で回すくらい。
不幸があった時は隣の後谷集落(七戸)と互いに手間を融通しあうことになっている。小さな集落同士、それも負担のようだ。「近所に迷惑を掛けられんとゆうて、益田の病院でなくなったら、あっちで葬儀を済ます家もあるんですよ」
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栃原は中心部の役場からは約二十二キロ。国道488号を途中から、匹見川支流の石谷川にそった離合の難しい町道を八キロ入ったところで、さらに細い取り付け道路を六百メートルほど上る。
石谷地区の中で、栃原など五集落は内谷自治会を組織している。だが、行き止まりの谷筋に入る集落も多く、共同で行う作業などはほとんどない。
旧村単位の地区が一つの自治会として活動しているのが、道川地区である。六集落、戸数七十五戸、百九十七人。国道191号と改良された県道に沿った各集落は、ほぼ平たん地にまとまり、相互に行き来も楽だ。
ほ場整備に合わせて二集落と、三集落を単位に二つの営農組合も組織している。秋の文化祭、運動会など地区単位の行事も盛んである。
集落単位でみれば戸数は最多で十八戸、最少で六戸。葬式は集落ごとに続けているが、常会を廃止したり宮の世話をやめるところも出てきた。
戸数が少ない一集落の葬式には隣接集落から手伝いが出る。女性の負担を減らそうと「おとぎ」を身内にしか出さないなど、地区全体で簡素化を申し合わせている。時代に見合うよう集落の慣習も見直している。
自治会副会長の秀浦昭美さん(58)は「昔と違って皆の行動範囲も広がってきた。そんな時代にいつまでも集落、集落と言わん方がええ」と問題提起する。
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道川地区にとって、六年前に国道191号が全面改修された意義は大きかった。益田市との時間距離がそれまでの半分近い三十分になり、「道川神楽が大好き」という若者がUターンしたり、四年前には茨城県から切り花栽培の夫婦がIターンしてきた。
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| かつて多くの農家の家計を支えたワサビ「これが生きがいです」と今も細々と作り続ける栃原の大賀さん |
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かつて十一あった集落は、移転や統合などでほぼ半減したが、ここに来て、人口減少に歯止めがかかるのではないかと、皆の期待は大きい。
今、自治会には新しい事業も持ち上がっている。国道沿いの出合原に町が計画中している「出合の里・ミニ道の駅」の管理運営を委託されることになったのである。
それに合わせて、県の「中山間地域集落百万円交付事業」で六集落が受け取った六百万円を自治会で一括利用し、もちや大豆の加工施設の建設費に充てる予定という。
「集落でばらばらに使うより、まとめた方が効果が大きいですいね」と自治会長の三浦冨士義さん(56)は強調する。
二つの地区を歩いて、痛感するのは集落の立地条件の違いが、いや応なしに生み出す明暗である。同じ中国山地でも、こうした形で新たな線引きが続いているのだ。
森林面積96%
《匹見町》一九五五年二月に道川と匹見上、匹見下の三村が合併して誕生し、翌年町制を施行。高度経済成長期、挙家離村による人口流出が著しかった西中国山地の町村の中でも、際立つ存在だった。
二〇〇〇年の国勢調査では八百六戸、千八百三人と、ピークの四分の一に減っている。森林面積が96%と中国山地の町村の中でも平たん地が少なく、主力産業の林業とワサビの不振が追い打ちをかけた。
町は国定公園匹見峡を軸に交流人口の拡大に力を入れている。匹見ウッドパーク、匹見峡レストパーク、匹見峡温泉やすらぎの湯、夢ファクトリーみささ、巨大迷路などを相次いで整備した。
ワサビ製品は今も町の特産。豊かな広葉樹林を生かした木工製品づくりも広がっている。
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町役場の対策 集落の統合・移転検討
匹見町の集落は河川や谷筋に沿って形成された「河川集落」に特徴がある。全四十六集落の大半が匹見川やその支流に沿って点在する。道路改良が各地で進んだ中国山地にあっても、なお条件の悪い地域といえる。
町によると、集落の機能維持が困難とみられる二十戸未満の集落が三十三と七割を超す。そのうち消滅の恐れもある戸数一けたの集落が十六。こうした小集落は栃原のように、住むのはほとんどお年寄りという例が多い。
町は人口流出が激しかった一九七〇年代、広島県境の広見や道川地区の赤谷、芋原など四つの集落の集団移転と、集落の運営をまとめる二件の統合を実施。自然消滅の二件を含めて、十一の集落が消えた。
奥地の集落に通じる道路の改良とマイカーの普及もあって、その後は移転、統合はない。住み慣れた場から離れる集団移転にその後、住民の不満も出たこともあり、これまで町は集落対策には消極的だった。
だが、集落は今も静かに老い、一戸、二戸と抜けていく。住み続ける住民の孤立感は募る。
「あくまで住民の意思次第だが、手を打つ時期に来ている」と斎藤惟人町長。「まずは隣り合う集落同士の運営を一本化する統合から呼びかけたい」と言う。
統合によって運営戸数が増えれば、道路清掃などの共同作業や祭りなども維持できるからだ。
町営バスの路線をきめ細かく延ばすことも検討する。集落移転も「住民同士の話がまとまれば、町営住宅を建てて対応できる」との姿勢だ。
「一人になっても住み続けたいという住民がいれば、その暮らしを支援していく」。斎藤町長は、そういう視点で集落対策を考えている。
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