◆当時の記事から(85年2月、要約、年齢は現在)
布野村森林組合は、組合長の梶川孝司さん(62)を先頭に、とにかくよく働く。重機を駆使し、育苗、造林、伐採から作業道の開設、シイタケ生産など事業取扱高は五億円余(一九八三年度)と、十年前のほぼ十倍。近隣の森林組合の中では群を抜く存在だ。オフィス機器も導入し、「山仕事のイメージを変えたい」という梶川さん。次の目標は、コスト競争に打ち勝つため、傾斜地で使える伐採・搬出用の重機の開発だった。
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■重機開発の夢はかなわず
村役場は森林組合の事務所から五百メートルほど南にある。梶川さんがその主に
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| 「行政に民間の論理を」と、森林組合の組合長から村長へ転身した梶川さん(右)。来春で1期目が終わる(布野村役場) |
収まったのは統一地方選の年、一九九九年四月である。
思いは、森林組合で培った経営感覚を大きな場で試したい、ということだったようだ。「一言でいえば、前例主義の行政に民間の理論を持ち込まんといけん、と思いまして」
といっても村長を志してからは、もう八年が過ぎていた。始まりは九一年。「負けるはずはない」と思っていた新人同士の一騎打ちは、わずか四十一票差で梶川さんの敗北に終わる。二回目の挑戦で三選を目指すライバルと再び対決。今度は「勝てる」と踏んだところが意外と苦戦し、四十五票差でかろうじて振り切る立場になった。
それにしても、なぜ八年も待ったのですか。「賢者は歴史に学ぶ、と言いますか、戦術的な意味ですわ」と面白そうに説明し始めた。
「二期目の首長には、よくよくケチでもついていない限り勝てないもんです。ところが負けた方は、なにくそ、とすぐまた出たがる。この辺でも、そうしてまた負けた人をよく見てきた。同じ轍(てつ)を踏むことはない」
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我慢の八年の始まりである。選挙に出るため非常勤になっていた組合長は結局、九四年二月まで務めた。そして「五年間の浪人生活」へ入る。
組合長として最後の事業年度となった九三年、組合の取扱高はピークの五億六千四百万円を記録する。その勢いで今度は、自営の「純粋林業家」として、しゃにむに働くことになる。
「食べていかにゃあいけんのですけえ、そこいらのように、ちょろちょろやるんじゃコトにならん」と、夫婦で丸太の切り出しに精を出す。
つらい労働に耐えた子どものころからの思い出が刻まれた、先祖伝来の持ち山が六十ヘクタール。チェーンソーや搬出用の重機を使い、毎年、八トン車で四十台から多い年は八十台分も出荷した。
外材攻勢に不況。国産材の相場は下がる一方だったが、振り返ってみて思う、という。「まだあの時代は山を切って、それで食べていけた。今、村長を首になったら、もう食べていけません」
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何が変わったのですか。「乾燥材、それも集成材じゃないといけんという。林業の様相が変わったんですわ」。収縮したり、曲がったりしない材質が求められるようになってきたのである。
当時、梶川さんは、布野の木は有力産地に質では負けるが、価格差はコストを下げることでカバーできるとみていた。
そのために目指した重機の開発だったが、結局、実現はしなかった。あれから開発に乗り出すメーカーも出始めたが、林業の方が駄目になってしまったという。
大小はあっても同じ形態の水田と違って、山は場所によって傾斜も違えば、岩もある。機械の大量生産にはもともと向かない。需要が落ちればメーカーの開発意欲が鈍るのも早かった。
「民の論理を」と乗り込んだ、六百三十戸、二千人、職員四十六人(村教委を含む)の村行政の世界。組合経営とはどう違いましたか。
「森林組合も純民間とはいえないが、こちらは何をやるにも補助金、起債、認可で、ほとんど身動きがとれん。その意味では面白みがないのかもしれない」と率直だ。
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専務理事の三年も含め、二十四年も経営に携わった森林組合とは、どうも勝手が違った。要は自治体が共通して抱える財源問題である。
村の本年度の一般会計当初予算は約二十億円。重複分を除いて特別会計と合わせて三十四億円程度必要だが、自前の財源は一割程度にすぎない。地方交付税が削減され、先細りは目に見えている。
「何をつくる、何をしてあげる、という時代ではもうない」という認識を職員と村民に求める意識改革にまず腐心しているのが現実という。
では行政は何をすれば―。「不安の時代、何かあったら役場にすぐきんさいと、村民の不安や不満を除くきめこまかいサービスを…」
村は今、三次圏域八市町村の法定合併協議を進めている。「自前でやっていく自信がある。それが組合員のためだ」と、八八年の三次市と双三郡の森林組合の合併には参加しなかった梶川さん。今度ばかりは「やむを得ない」と、村民の説得に回っている。
来春の選挙に出るかどうかの意思表示はまだしていない。だれが出ても最後の布野村長になるだろう。
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■採用の悩み解消 取扱高は先細り 布野村森林組合
「木を切って経済的に成り立つ時代ではないとなると、森を守るにはだれがコストを負担するかですよ。今の組合長も思ってますがね」
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| 国道54号そばの布野村森林組合の事務所。1983年の建設で、前回の取材当時のままだ |
そう言って、都市住民との交流の地道な拡大、企業の参加を求めるため環境コストの減税措置の必要など、アイデアを挙げる梶川さんの話を聞いた後、現組合長の小林正一さん(60)を訪ねた。
梶川さんが村長選に打って出た九一年の一月、役場の職員から参事に呼ばれた。組合長歴は来年二月でもう三期、九年になる。就任以来、広島県内十八組合で「一番若い組合長」である。
仮に組合長を続けることになれば「次の三期目には結論を出さんといけん」というのが合併問題。その悩みは役場とよくにていた。
「森林組合は、農協もだが半官半民みたいなもんで、国やら県やら市町村が弱りゃあ確実に弱体化してきまさあね」
木を切り出して稼ぐ林産事業が強みだった布野村森林組合も、材木相場の下落に加え、大きく依存していた国や県の造林補助事業が、ピークの半分くらいに減って苦しくなってきた。
不況対策で増えた二〇○○年に五億円台を回復した取扱高も、昨年は三億七千万円と激減し、初めて赤字を計上。創立五十年の今年は三億円を切る見通しという。
「合併したところも、してないところも同じようにしわいはず」という小林さん。梶川組合長の時代と違って、毎年三人程度の採用も「なぜか若者に人気があって」苦労はなくなった時代だけに、仕事の先細りを残念がる。
林業家の正組合員五百四十九人、職員約四十人の小さな森林組合。「やっていかれれば、単独が組合員のためにはいいに決まっている」。そう思いながらも、小林さんは合併がもう避けて通れないと実感している。
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