― 事業の節目 意向働く ― ■求心力失う県政界 「竹下さんがおられたら、こぎゃんことにはならんだった」 島根県や地元市町、そして干拓営農を目指した農家の間で幾度と なく同じ言葉が聞かれた。竹下登元首相は四月に引退を表明し、衆 院選さなかの六月十九日に亡くなった。島根県政の後ろ盾だった竹 下氏の不在が、本庄工区をめぐる急展開に大きく影響している。
「ここまで急な動きになるとは」と自民党県連の浅野俊雄幹事長 は本音を漏らす。公共事業見直しの中心にいる同党の亀井静香政調 会長の言動が「竹下さんという重しが取れて好き放題やっている」 と映り、「県選出の国会議員は何をしとるんだ」と憤りを口にする 同党県議たち。県政界は求心力を失っている。 調整型の澄田信義知事は、県議会や地元市町の同意を取り付けな いまま、異例の見切り発車で事業の延命を図る「凍結」を打ち出し た。自民党の中止に向けた動きを察知してのことだったが、一度傾 いた中止の流れに知事の決断はのみ込まれた。 中海干拓事業は、農業用水を確保するための宍道湖・中海の淡水 化事業とセットで一九六三(昭和三十八)年に始まった。目的は食 糧増産という国策による水田造りだった。七〇年からは減反が始ま り、県内では毎年三百〜千三百ヘクタールの水田が消えていた。 農業を取り巻く環境が大きく変化する中で、進められた干拓事 業。「最初から他用途利用が前提だった。干拓地は権利に縛られず いろいろな絵が描ける県政の起爆剤。干し上げれば何とかなるはず だった」と当時を知る元県幹部。土地改良事業である以上、看板は 農業利用を掲げざるを得なかった。 ■「あの地域に必要」 「国土が広がることはいいことだ。あの地域には必要だわなあ 」。副知事として澄田知事を支えた高橋悦郎氏(現県顧問)は、節 目節目で竹下氏に相談に行くたび、こう話していたのを思い出す。 「やれ、やめろとは言わなかったのが竹下さんらしかった」 本庄工区が堤防で取り囲まれた八〇年以降、宍道湖や中海の水質 が目に見えて悪化した。漁協や沿岸住民が淡水化阻止に立ち上が り、就任して一年たたない澄田知事のリコールも辞さない構えを見 せた。窮地に追い込まれた県の意図を受け、当時首相だった竹下氏 は八八年二月の衆院予算委員会で「県民のニーズは変わった」と答 弁。淡水化凍結の決め手となったが、干拓事業は中断という形で生 き永らえた。 ■一つの時代終わる 澄田知事が九六年に事業再開を要請したのを機に設置された農水 省の検討委員会は今年四月、「全面干拓」「部分干拓」「干拓せ ず」という三案併記の最終報告をまとめた。事業の取り扱いが知事 の判断に委ねられたのと前後して、竹下氏は政界を引退。「一つの 時代が終わった」とだれもが口にした。 「もしご存命だったら、たぶん『いろいろな経緯があるから、難 しいわなあ』と言って、県の意図を汲んでくれたかもしれない」と 高橋氏。「県政百年の大計」と位置付ける澄田知事の思いは、竹下 神話とともに消えようとしている。 |