■K・N
いつも楽しく見させてもらっています。先日、ここのページに載っていないおいしいお好み焼き屋さんを見つけました。ぜひ取材に行ってみてください。

場所は広島市安佐南区の大塚西3丁目です(30階建てのマンションの下にある公園近くです)。名前は「お好み焼き 風々(ふうふう)」です。店長に聞いてみると、南区東雲本町にある「三八」の親戚だそうです。
謎のコメンテーター
ただ今、12月2日午前零時過ぎ。K・Nさんのメールを読んでいると、無性にお好み焼きが食べたくなりました。だれか、出前してくれないかなあ。

「三八」は1977年開業の老舗。「炎の鉄板」スタート直後の2002年1月に取材しています。ボリュームたっぷり、卵も二黄卵にこだわっています。

その親戚のお好み屋さんなら、こだわりも相当なものなんでしょうね。K・Nさんの「おいしい」の一言が、空っぽの胃袋に染みわたります。
■さやか
アキラの妻さやかです。アキラは懲りずに文芸に投稿していますが、いつも落選ばかり。今月は文才豊かなわたしが参加します。締め切りはいつですか。

アキラとわたしは、いつも仲良くお好みを食べに行ってます。そばより、うどんが好きなんですけどね。
謎のコメンテーター
心せわしい師走こそ、薫り高き文芸でホッと一息。それが理想ですよね。と、ところが、文芸コーナーは12月休載なんです。なぜなんだ! T上司。なまけていいのか、T上司!

12月は「鉄板文芸2003グランプリ」を発表しまです。短歌・俳句・川柳の選者が、それぞれの部門の年間最優秀を選考します。年間グランプリは年間最優秀3作品から、鉄板編集部員の投票で決定します。

さやかさん、投稿はいつでもOKです。めざせ!2004グランプリ。アキラさんに負けるな! 謎コメは、すべての女性の味方です。
■佐伯区のとしちゃん
きょう11月30日、最後の可部線を見に行きました。昨日まで天候が良くなかったので、晴れて良かったです。もちろん、私の苗字と同じ字の駅へ、写真が趣味の近所の人に連れて行って頂きました。人家も多くない、集落の入り口にある駅。

この日は、ファンや地元の人の撮影が多く見られ、要所に警備員や駅に職員が配置されていました。行った時、丁度上りの列車が来たところ。グッドタイミングです。聞くところによると、さらに数分後下りの通過列車が来るとのこと。全くの偶然です。

そして、満員の乗客を乗せた特別編成の列車がエンジン音を立てて通過しました。駅名札と並ぶようにその列車の写真を撮りました。しかし、なくなるからといって、急に乗る人が増えるとは何とも皮肉としかいいようがありません。後で、同行して頂いた近所の人に、私の苗字と同じ駅名札や駅の入り口で写真を撮ってもらいました。

かつて、木材を運び出すために設けられた側線・ホームの跡に昔の栄華を偲びながら、駅を眺めました。無人化された駅舎は、侘しく、開業当時からの木製の長椅子や白熱灯には趣きがあって、非常に惜しい気がしました。地元の人の「ありがとう」の札や駅舎内での数々の写真や手工芸品の展示。温かいものを感じました。

なくなる最後の日に行くというのは好きではありませんが、子供の頃、三段峡まで可部線で行ったので、列車にはもう乗らなくてもよいから、せめて無人とはいえ、営業中の駅に一度は足を運びたい、という思いで行きました。

今福線計画が凍結されて、いつかはこの区間も廃止になるかもしれないという思いが薄々とは感じていましたが、それが、まさにこの日、とうとう現実になるとは。私の住む広島も、地域的な偏りがあるという表れでしょう。廃止など広島にはないことであろうと思っていましたから。

廃止後の可部線は、一切を地元にJRから譲渡されるそうです。当分の間は、橋梁・トンネル・駅舎といった施設は閉鎖するそうです。私は、いつでも復活出来るように残して欲しいですね。

トロッコ列車とまでは出来なくても、保守点検は定期的に行って、さらに法面や橋梁などに防護柵を設けて、軌道自転車を走らせる楽しみがあっても良いと思います。でも、これまでの足をなくしてしまった、地元の痛手というのは、その土地に住む人にしか心底分からないでしょうね。

廃止後、代替バスが増えても、絶対に不便さを感じさせないようにしなければなりません。新しい区間で、僅か34年。ほんと短かった。惜しい、残念。深く私の記憶に刻んで、さよなら、ありがとう。
謎のコメンテーター
JR可部線可部―三段峡間が11月30日で廃止されました。全線開通から34年、名残を惜しむ多くの人たちでにぎわいました。時代の刻んだ鉄路の廃止には、一段と寂しさが募ります。

1960−70年代、北海道には静脈血管のように鉄路がめぐらされていました。夏・冬の休暇には、北海道周遊券(国鉄乗り放題)を使って、道内を駆け巡っていました。

モータリゼーション、石炭産業の衰退、過疎化の進展・・・。多くの路線が消え去りました。標津線、名寄本線、天北線、興浜北線・・・懐かしい響きです。

広尾線(帯広―広尾)が廃止された1987年、わざわざ乗りに出掛けました。ブームとなった愛国駅から幸福駅行きの切符は、今も机の引き出しで寂しそうに眠っています。

写真】JR可部線の加計町津浪駅で、TSUNAMI隊の合唱で列車を見送る地元の人々(30日午後4時)
■炎の鉄板ボランティア特派員マコちゃん
西さん、ここは探偵団にお出ましをお願いするしかありません。というのも話しは長くなりますが、オデンにお好みソースをかけて食べる食文化の広がりを調べて欲しいのです。

先日、「おでん」にお好みソースをかけて食べるのは広島・草津(西区)だけの食文化だと紹介しました(2003・11・5特派員)。「さしみ」「納豆」「やっこ豆腐」「なま卵」などにソースをかけて食べると言えばみんなびっくりする。おでんだって同じことです。それほど特異な取り合せです。それだけに話題性もあります。

ところがこの話しを聞いて、びっくりするどころか「学生時代に私も食べていました」というご婦人が現れました。「宇品」(南区)や「鷹の橋」(中区)のお好み焼き屋さんで食べました。鉄板の上で温めるとソースの香りが効いておいしい、と言うのです。

ということは、お好みソースでおでんを食べるのは草津特有のものではなく、広島市全域に、あるいは広島風お好み焼き文化圏に共通する隠れたる食文化ではないかということです。

この「ソースおでん」(仮の呼称)はそれほど知られているおでんの食べ方ではありません。それだけにこれをまさに隠れたる食文化として、発掘して広めるのはお好み焼き文化人の努めではないか、とおもいます。お好み焼きを支える主役お好みソースですが、おでんの味を引き立てる役割を担っていることも知っていただきたい。

考えてみれば、これはお好み焼き屋さんの鉄板の上で、自然発生的に生まれた食文化ではないか、ということです。そのシナリオは次ぎのとおりです。

「いらっしゃい。なんにする?」
「肉玉そば、それにオバチャン、おでんある?」
「あるよ、すきなだけとって食べてよ」
「うまそうじゃのう。鉄板で温めて食ってみようか」
「肉玉そば、できたよ。ソースはお好みでかけてね」
「やっぱりお好み焼きは、ソース味が濃い方がうまいけんのう。たっぷりかけるぞ」

「お兄さん、そりゃかけすぎよ。おでんにソースがかかりょってじゃが」
「ほんまじゃあ。おでんがソースまみれじゃ。どうすりゃいいんなら」
「そりゃあ、食べるしかないわいね」
「これを食うんかいのう。しもうたのう」
「まあ、食うてみんさいや。死にやあせんけえ」
「おっ、オバチャン、こりゃうまいぜ。おでんにソースは合うよ」

こんな具合にして「ソースおでん」は始まったのではないか。しかし、これがお好み焼き屋だけの食文化に止まっているのはいかにも惜しい。家庭の食卓にまで広げるのもお好み文化人の努めです。その前に、西さん、これがどこまで広がっているのか探偵団に調べてもらってください。

隠れたる広島の貴重な食文化、それもお好み焼きという主役をこっそりと支えるお好みソース文化。それはすばらしい記事になります。
謎のコメンテーター
びっくり! 「ソースおでん」は、西区だけではないんですね。寡聞ながら、謎コメは聞いたことはありません。おでんを置いているお好み屋さんで尋ねてみましたが、店主は首をかしげるばかりでした。

マコちゃんの推測のように、「ソースおでん」は偶然から始まったのか。調べてみる価値はありそうです。しかし手がかりが余りにも少なすぎます。「ソースおでん」を食べたことのある人、情報をおねがいします。
■携帯から
福山市も、やってください!
謎のコメンテーター
「やりましょう」。そう答えられればいいんですが、「すみません」と頭を下げるのみです。求む!福山在住の鉄板ボランティア。
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