段段畑の除虫菊  <因島市>


■ 汗で築いた地 輝く白再び ■

除虫菊
 畑に残っていた除虫菊の花。白のじゅうたんは、因島の初夏の風物詩だった
 の彼岸に種をまけば翌々年の五月に花が咲く。十九カ月もかかって開いた花の命は、わずか二週間。そんな除虫菊づくりに、因島市重井町の村上富夫さんが挑んでいる。八十五歳。ほぼ三十年ぶりの栽培だ。

 除虫菊はかつて値のいい換金作物だった。「ここらは、夏は甘藷(かんしょ)、冬は麦をやってましてな。麦の畝の間に、どこの農家も除虫菊をつくっとったもんです」。因島は当時、全国有数の産地だった。

 それが化学薬品に取って代わられ、一九七〇年代後半には島から姿を消した。「一銭にもならんもんを作る農家がおりますか?」。そう言う村上さんが除虫菊の苗をまた植えたのは、畑を守るため。そして、白い花が一面に広がる風景を楽しんでもらいたいと思ったからだ。

 家の裏手にある畑は、石積みの段々畑。高さは十五、六メートル。一つずつ石の形を生かして組み合わせた石垣の上に、幅数メートルの畑が四枚ある。「昔は収穫したものを舟で運びよった。そんな時代、屋敷のすぐ近くにある畑は敷田地(しきでんぢ)と呼んで大事にしとった」。今でこそ値打ちはないが、自慢の畑だった。

 代々、築き上げた石積みの畑。村上さんは次の年の開花を心待ちにして、畑に通い続ける
 父が石を運んで畑を整えた。「親父もじいさんも、畑に手間を掛けるのが好きだった。ワシもどっちかいやあ、血筋で…」。崩れては石やびんを積み重ね、補修してきた。

 切り開いた畑は海に向かって大きく傾いている。山に背を向けて立ってはいられない。横向きになリ、山側の足に体重をかけながら、後ずさりするように耕す。五年前の入院をきっかけに、十アールだけ続けていた野菜づくりをやめたが、荒らすのは惜しいと、くわを入れ、草を抜いて、畑の手入れを続けてきた。

 畑は港を見下ろす場所にある。フェリーが横切る向こうには、佐木島(三原市)が見渡せる。せっかく眺めのいい場所にあるのだから、除虫菊でも植えてみるかと思い立った。

 上さんの畑が、久しぶりに白一色で覆い尽くされた昨年五月。三回も足を運んだアマチュアカメラマンがいた。「みんながこうまで喜んでくれるとは思わなんだ。ワシらでもええ景色じゃなあとほれぼれする。もっと早う植えとけばよかった」

 家の裏手とはいえ、斜面はきつい。農道が付いてからは、畑へ軽トラックで通っている。だから、運転免許証の更新が控える来年三月の誕生日は、特別な意味がある。「免許がだめになったら、畑もおしまい。目を大事にせんといけん。テレビはあまり見んようにしています」。農家に生まれたこの人の、畑への思い入れが伝わってくる。



menubacknext