プッ、プー。快速船が帰港を告げる警笛を鳴らしながら、島に近づいた。役場や漁協のわきに腰を下ろし、談笑する人たちの姿が見える。桟橋で、空の手押し車の家族が出迎える。エンジン音一つない島に降り立つと、島の一員になったような気がする。346人、177世帯。3つの島からなる魚島村は、燧(ひうち)灘の真ん中に浮かぶ小さな自治体である。平地が少なく、人家は港周辺に密集している。8割が住む魚島に自動車は30台余り。島で「車」といえば、手押し車のことを指す。
手押し車は「一家に1台」の必需品だ。民家は海沿いから山すそまでぎっしり建て込み、狭い路地が縦横に縫う。十数メートル先の商店への買い物、ごみ出し、散歩のつえ代わりにと、フル稼働する。
「魚島は、全体がおっきい家族。何か困ったことがあったら、皆でそれにかかわるのが当たり前なんです」。松山市出身の堀内敦子さん(23)の実感である。
港周辺に密集する人家。ひっそりと時を刻む路地を、手押し車の女性が通り抜ける |
島の人口は1948年の1755人をピークに減ったが、最近はIターンやUターンの島民が目立つ。例えば村役場。村長以下21人のうち、Iターンが7人、Uターンが6人いる。診療所の看護婦や保育所の保母らも、みな島外の人である。
古来、海を介した交流が盛んだった魚島。「開放的な気風があり、よそから来た人を嫌うことがない。それに小さなこの島では、一人ひとりが大切な人材なのです」。佐伯真登村長(65)のまなざしは、新住民にもやさしい。
「どこへ行くん?」「具合はどんな?」。手押し車でのんびりと行き交う人たちは、何かと声を掛け合う。島では隣近所の付き合いがあるから、お年寄りが元気だという。高齢化率は4割を超すが、寝たきりの人はいない。
だが、別の側面もある。一人で生活できなくなったお年寄りは、島では24時間の介護が受けられないため、島外で暮らす子供らに引き取られていくのだ。
「島全体が家族のようだった魚島の人たちが、人生の最期で、島から引き離されるなんて。島で天寿を全うする環境を整えられれば―」。村民1年生の堀内さんが抱き始めた夢である。

