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潮が満ち、また引いて元の場所に戻るまで、船上で宴(うたげ)を楽しむ舟遊び。幕末から明治、大正にかけては、漢詩や詩歌を詠む風流さもあったという。「流し舟」に最初にはまったのは、医師の永井晃さん(53)だった。
「風を感じ、景色を楽しむ。海に身を任せ、普段の生活や島の様子を客観的に見つめられる。波が穏やかな瀬戸内海ならではの伝統行事じゃないかな」。さすがに先人ほどの余裕はなくエンジンの力も借りるが、十五年前に体験してから、遠来の客があると海に誘い出すようになった。
永井さんら男性七人が五年前、「素晴らしい瀬戸田水道を復元する会」を結成した。四十六歳から六十歳まで、ホテル経営者、役場職員、会社員など、職業もさまざま。共通しているのは、瀬戸田港の近くで育ったことだ。港の護岸工事にコンクリートが使われると知り、石積み方式への変更を働き掛けた。
穏やかな潮の流れに漂う流し舟。島で育ったメンバーには、海がなじみの遊び場だ |
今、遊泳禁止になっている瀬戸田水道は、子供時代の遊び場だった。夏休みには、流れが速い幅二百メートルほどの水道を何度渡ったか、回数を競い合った。ニシやイギス、タコ…。海に行ったら何かがあった。
「炒(い)ったソラ豆を袋に入れ、泳いでいるうちにふやかして食べるのはうまかったなあ」。そんな共通の思い出もある。島での生活をもっと楽しもう―。流し舟復活に、思いを込めた。
和船にござを敷き、車座に座る。料理を楽しむもよし、景色を眺めるもよし。「こうやって、水に手が届くのがいいんよ」。わきの板を外し、座ったままで海水に手を浸す。シャツ一枚の体に夜風は冷たく、季節の移ろいを感じる。
午後六時半に高根大橋の北側から漂い始めた舟は、佐木島を左に見ながら東へ進んだ。生口島沿いに南へ回り、二時間もすれば、生口橋が目に飛び込んできた。携帯電話の電波を除けば、何も邪魔をするものがない空間が広がる。五時間ほどで、生名島沖の無人島にたどり着いた。
船を持つ人は大勢いるが、釣り以外の目的に利用する人はめったにいない。自分たちばかりが楽しむのは、もったいない。「観光で島を訪れた人にも、瀬戸内海の魅力を存分に味わってもらおうじゃないか」。流し舟組合をつくろう―。メンバーの間で、海を取り戻す新たな構想が膨らんでいる。

