秋祭りのお接待  <愛媛県岩城村>


■ 島ぐるみ 300軒の無礼講 ■

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海と関係が深い岩城島の秋祭り。航海の安全を祈る「御船(みふね)」の踊り子が、フェリーの上でかい練りをする
 ーブルいっぱいに、ごちそうが並ぶ。「遠慮せんと、どうぞ」。主(あるじ)の声とは裏腹に、大皿に盛られた料理はあまり減っていない。その代わり、ビールは次々と空けられる。島の人たちが入れ代わり立ち代わり訪れ、酒宴を楽しんでいる。

 太鼓の音やだんじりを担ぐ男たちのかけ声が、秋祭り最中の岩城島に響く。岩城八幡神社のある島南部、通称「町内(まちうち)」では、祭りの間中、家々でごちそうが振る舞われる。その数、約三百軒。世帯数の七割に上る。祭り前の二、三日、酒屋は普段の数倍を売り上げるという。

 場の住民生活課、原博彦課長(55)が、八十軒を回るというので、同行させてもらった。助役ら同僚、元議長、役場職員OBらの家を、順番に訪ねる。一軒にかける時間は十分前後で、ペース配分かビールは口を付けるだけ。それでも、三十軒目を超すころには足取りが怪しくなった。

 「集落全体で飲み食いをすることなんてないからね。御案内いただいたところは、回りたい」。最近の釣りの成果を聞いたり、子供を島外に出したお年寄りのつかの間の話し相手になったり。時には、OBから小言をちょうだいすることもあった。

 南地区の秋祭りのほか、北地区のお大師さん、東西各地区の大般若と、島には大きな行事が年に四回ある。それぞれに「お接待」があり、祭りに集まる人々を互いにもてなし合う風習が根付いている。


主が消防団長、息子が農協職員と役場職員という一家。絶えず人が訪れ、家族総出で接待に明け暮れた
 戸時代、岩城島は松山藩の東端の港として栄えた。島では松山だけでなく、讃岐や備後、安芸などの藩札も通用していた。そんな「藩際港」で、塩田経営や回船業などを手掛けた豪商が三浦家。幕末には二百三十人分の煮しめ弁当で秋祭りの世話役らをもてなした記録が残っている。

 「おやじの時代には、接待の酒代で月給が飛んだらしい」と、同課の児島公尊さん(48)。金銭的には以前ほど負担にならないだろうが、徹夜で料理を作り、客の相手をする女性たちは大変だ。「ぼくらにとっては親の代からの文化だけど、島の外から来た人は、何と無駄なことかと思うだろうなあ」

 島には、スナックもパチンコ屋もない。祭りは貴重な社交場なのだ。「この日のために、一年中胃薬の世話になっているようなもんです」。原さんはそう苦笑しつつ、島の無礼講の一日を大切にしている。



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