いも地蔵 <愛媛県上浦町>


■ 島の来し方行く末守る ■

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 口(いのくち)港から車で二、三分入った町中に、上浦町で唯一の菓子店がある。空き地にぽつんと立つプレハブ。「ボッコ製菓」の小さな看板がある。

 ボッコには、地元の方言で「すごい、大きい」などの意味がある。滋賀県で八年間菓子作りを学んだ佐藤哲也さん(38)が、六年前に始めた。大三島の土産物として名を知られるようになった「芋吉(いもきち)」は、ここの目玉商品である。

 「ボッコ製菓」は、町内の男性四人が共同出資して設立した。佐藤さんのほかは、旅館経営者と理容店主、建設業者。近所に住み、年齢も近かった。

 「理容店なんかは、年間百人ぐらい客が減っててね。高齢化が進み、不況も重なって、それぞれが商売の先細りを感じていた。橋も架かるし、何かアクションを起こさねばという危機感があった」。佐藤さんの帰郷は、絶妙のタイミングだった。


いも地蔵のお堂がある向雲寺の墓所。高台のクスの大樹が、秋の夕空に浮かび上がる
 郷で菓子作りをやるに当たり、考えた。上浦町とはどういう町なのか。ミカンはほかの島にもある。菓子なら、物語性と御利益のあるものがよい。町に伝わる「いも地蔵」をモチーフとする案に行き着いた。

 町南部、瀬戸の小高い丘にあるいも地蔵は、下見(あさみ)吉十郎をまつっている。江戸中期、子供を次々に亡くした吉十郎は、全国行脚の旅に出た。薩摩の国から国禁を犯して持ち帰った甘藷(かんしょ)が、後の大飢きんで島の人々を救った。芋を使った菓子作りは滋賀で経験があった。ニッキの香がするサツマ芋の形のまんじゅうを作った。

 を抱いた高さ五〇センチの地蔵は、向雲寺の墓所の頂上で、静かに座っている。毎年、命日の旧暦九月一日には、報恩祭が開かれる。「戦中、戦後も芋は貴重品だった。営利を目的とせず、芋を分け与えた吉十郎の話を伝えたい」と、保存会会長の曽我謙吾さん(73)。来年、祭りは五十周年を迎える。

 上浦町には、これといった特産品がない。町の特産品作り講座に集った女性三人は昨年末、いも地蔵の土鈴を作った。「いも地蔵を知ってもらい、それによって上浦町をもっとアピールしたい」。代表の赤尾クニ子さん(52)は、孫の笑顔を地蔵の表情に重ねた。



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