船乗りと妻たち <愛媛県弓削町>


■ 追うロマン 支える愛 ■

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 立弓削商船高等専門学校がある愛媛県越智郡弓削町は、外洋航路の船員の町である。と同時に、船乗りの留守を守る女たちの町でもある。

 年ごろの娘を持つ弓削の母親は、商船学校に通う学生を自宅に下宿させようと奔走した、という。「それはオーバーな言い方だけど、夫にするなら船乗りという考えが昔はあった。実際、給料は良かった」。河端紀子さん(59)は、青年団主催のダンスパーティで新居浜市出身の商船学生と知り合った。現在の夫である。「夏の、白い制服がかっこよくてね」。商船の学生は、あこがれの的だった。

 「弓削養子」という言葉がある。商船時代に知り合った女性と結婚し、島に暮らす船員を指す。家に残す妻を気遣い、妻方の親と同居する男性が多いのだ。「船員の家庭に育って、男手のない生活には慣れている」「夫が留守の方がラク」。語る妻たちはたくましいが、それは表向きの話でもある。

 「今日は言わせてもらいます」。一九八五年まで船に乗っていた益井恭次さん(71)の家で、妻の稔子さん(68)がせきを切ったようにしゃべり始めた。「私は寂しかった・・・」


実習船で播磨灘を神戸へ向かう南船学科の学生たち。海へのあこがれは尽きない
 二年に結婚した。信号員で外洋航路に乗っていた恭次さんの不在は数カ月に及んだ。弓削養子と違い、夫の親との同居。「しゅうとめが七十四歳で亡くなった時も、一人で葬式を出した。この人はペルシャ湾にいて、四十九日にお客さんのような顔をして帰ってきた」。家も一人で建てた。

 稔子さんは、留守を守った妻への感謝の言葉が欲しい。だが、恭次さんは、上手が言えない。「親をみてもらった弱みがあるからの」。海のもんが陸(おか)で言うことはないとばかり、非難にも苦笑いするだけ。稔子さんはそんな夫の態度が、いらだたしい。

 造船不況と時を同じくし、船乗りの需要も減った。恭次さんが現役の時、島に約三百人いた船員は、今八十人ほど。「船に昔のようなロマンがなくなった。ただ、走れ走れというばかり。わしらのころは、観光にいくゆとりもあったがの」。娘、暢子さん(42)の夫も船員だが、国内に寄港して会いに行っても、家族でゆっくり過ごす時間はない。

 船の航海学科と機関学科は、八五年から八八年にかけ、商船、電子機械工学、情報工学の三学科に改編された。卒業して船に乗る学生は、百二十人中、十人いるかいないかだという。

 昨年、商船学科四年生の航海実習があった。神戸までの往復五百キロを、十五人の学生が交代で操船した。「父も祖父も船に乗っていたから」「海が好きだから」。船乗りにあこがれる思いは変わらないのだが・・・。



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