釣り仲間 <今治市>


■ 郷愁誘う わが港に憩う ■

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 光を浴びる湾一帯に、絶え間ない機械音と鉄板を打つ音が響き渡る。今治市の波止浜(はしはま)湾。堤防で話し込む男性の輪が、その音と同じように風景に溶け込む。「今日はどうかいの?」。ナイロンジャンパーを着込み、釣りの算段をしていた。

 「筥(はこ)潟湾」と呼ばれる波止浜湾は、水門まで一キロほど、幅二、三百メートルの奥深い入り江が続く。風待ち、潮待ちの天然の良港。戦国時代は来島海軍の船だまりだった。一六八〇年代、湾の奥に塩田が開発され、波止浜地区に町が形成された。塩や資材の運搬船が出入りし、湾には修繕や造船の工場ができた。

 かつてスナックや映画館、パチンコ屋が軒を並べていた西側の「海岸通り」に、「内外船舶用食料品」と書いた古びた看板が残っていた。あるじは、堤防で仲間らに「誠兄(せいにい)」と呼ばれていた村上誠志さん(61)。事務所は五年前、スーパーや喫茶店がある東岸へ移した。

なじみの港でひと時を過ごす。波止浜湾の風景に、来島海峡大橋(右上)が加わった
 板を上げて三十五年。最盛期には十人いた従業員は今、三人。「船の乗組員が減ったしね」。昨年から暇を持て余し、釣りにいそしむようになった。先生役は片上吉郎さん(52)。二十数年来の顔なじみである。

 片上さんは波止浜港を拠点に、船で材木を運んでいた。海岸通りにあった海運会社の事務所は、盛り場の衰退とともに閉鎖された。今は漁で生計を立てる。

 船が着けてある浮き桟橋は、海運会社のもの。「撤去せないかんのやけどな」。その言葉とは裏腹に、歩み板の雪ですべって腰を痛めたという日、片上さんは桟橋につないだ船で寝泊まりした。

 の大型化に伴い、湾内の造船所は相次いで市外へ拠点を移したが、今も九つの造船所が中・小型の船を手掛ける。海運業の主力は隣の波方町に移り、波方は船会社百六十社、保有船舶二百六十隻余りという有数の海運の町に発展した。

 もたれかかるのに丁度いい高さの堤防で話し込んでいた小笠原和生さん(67)は、今治市の南端の桜井に住む。船を波止浜湾に置き、天気のいい日は市の北の端までバイクを20分ほど走らせて、港をのぞく。「流れの速い来島海峡を通らずに釣り場に行けて、便利な所なんよ」。

 「造船所の風景は郷愁を誘うし、船の仕事に携わった人は大抵、自分の船を持つからね」。元教員の瀬野光春さん(71)は退職後、小中学生向けに本を書き、郷土の歴史をつづった。水軍が潮を待って休んだように、現代の人にとっても波止浜は憩いの場―。子供らに、そんな風景を知らせたいと思う。



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