正座と潮焼け <愛媛県上浦町>


■ 懐深き海 我が心の支え ■

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 釣り歴20年の越智さん。「チヌ釣りも団子練ってやる。ベテランじゃけん」
 波堤の先っちょに座って糸を垂れる格好は、「正座で」というよりも「ちょこんとおぎょうぎして」という方がぴったりくる。「寒いのは苦にならんが、風が吹いたらつまらんですわ」。話しながらも、視線はさお先に注いだまま。表情も変えずにさおをしゃくったかと思えば、手のひら大のカワハギが糸先に揺れていた。

 毎日のように海へ出る愛媛県越智郡上浦町甘崎の越智八千代さん(65)の話は、釣り好きの大村カメラマンから聞いていた。「すごいおばさんがおるんじゃ。今日も大きなアジを釣っとった」。会うのが楽しみだった。

 自宅からバイクで数分の甘崎港を拠点に、潮や風を見て町内のあちこちへ出向く。使い古しのタオルを重ねた上に座るのが、いつものスタイル。この時期の獲物はカワハギや小イワシ。総菜でも扱うように、まきえを割りばしで網かごにチョチョッと詰め、並んだ針の二つだけにえさのエビを付ける。取られたら、その分だけ付け直す。

畑仕事や家事の合間を縫って海へ出る。広さを目の当たりにし、穏やかな気持ちになる
 を挟んで島と向かい合う竹原市に生まれた。国鉄に勤めていた上浦町出身の勲さん(73)と結婚し、竹原や三原で暮らした。上浦町に移り住んだのは三十年前。しゅうとめの体が弱り、小学校五年になる息子を連れて夫、娘と別居した。

 皆がおかへ上がりたがるのに何で島へ」と実母は反対した。が、嫁としてそうするのが当然の時代だった。「周りは親せきばかりという土地柄、始めはよそ者の寂しさもあったけど、ほんと、住めば都。ここはぬくいですし」

 父と兄弟の影響を受けた釣りは、病気がきっかけでのめり込んだ。五十アールのミカン畑と家事、さらに事務の仕事をこなしていた四十五歳の時、乳がんになった。「五年持たないと言われて生き長らえた。夫はおなごだてらにといい顔をせんかったが、やりたいことをやろうと思うてね」。大病が海へ誘ってくれた。

 「一人でのんびりやるんがええんです」。朝、教員の娘と中学生の孫二人を送り出し、ひと通りの家事を済ませて家を出る。釣り場で弁当を広げ、昼過ぎまで海に向かう。「潮風が気持ち良くてね。何も考えずに広い海を眺めて、独り言言いながらやるんよ」。年ごろの孫とのちょっとしたいざこざ、病気の不安、・・・。海はすべてを受け止めてくれる。

 抜きで覆いきれない指の第二関節から先が、潮焼けして真っ黒になっている。潮の悪い日に大きなサヨリを二十八匹上げ、釣りの月刊誌に載ったこともある。

 毎週金曜の夕飯には、広島市内で単身赴任をする娘婿が、魚料理を楽しみに帰ってくる。「婿どのはカタカナの付く料理が一切、ダメなんよ」。孫の成長と釣りが生活の張り合い。糸を垂れる後ろ姿が、海に溶け込む。



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