|
(3)キャッチアップ
広島、愛媛県境の海峡に、巨大な弦楽器ハープのような多々羅大橋がそびえる。来年五月の完成で、姉妹橋であるフランスのノルマンディー橋を三十四メートル抜き、世界最長の斜張橋になる。 主塔と主塔の間の距離を指すスパンは八百九十メートル。主塔の高さ二百二十六メートルは、広島市中区の基町クレド(百五十メートル)をはるかにしのぐ。そこから百六十八本のケーブルが塔の前後に扇状に広がり、やじろべえのようなバランスで橋げたを支える。 西独から技術導入 斜張橋は、つり橋のようにアンカレイジと呼ばれる巨大なコンクリート製重しを橋の両端につくる必要がなく、場所によっては工費も安い。だが、この力学的バランスを保つのは高次の連立方程式を解くように複雑だった。 日本の本格的斜張橋は、本四公団発足前の一九六八年に完成した尾道大橋から始まった。当時、日本道路公団尾道工事事務所長だった菅生直孝(68)=静岡県三島市=が先進地西ドイツに乗り込み、持ち帰った。事務所スタッフは西ドイツの文献を取り寄せ、議論を重ねて設計した。 菅生はその後の斜張橋ブームを予言したが、尾道のケーブルは多々羅の十分の一の十六本しかない。多々羅のような長大橋の設計は当時、至難の業だった。
本四公団初の斜張橋は八八年に完成した。瀬戸大橋の櫃石島と岩黒島の双子橋である。スパン二百十五メートルの尾道大橋完成から二十年後だった。テントの骨組みのような尾道から、ケーブルが増えて弦楽器ハープのような構造に変わった。スパン四百二十メートルのこの橋は世界四位に食い込む。 わずか11日の天下 そしてスパン四百九十メートルの生口橋が九一年十二月に完成。ついにトップに躍り出たが、ノルウエーのスカルンスンド橋が四十メートル差で、直後にその座を奪った。十一日間の天下だった。 長大化は新たな課題も生んだ。海峡部の風雨がこの巨大な弦であるケーブルを大きく揺らす。藤原は櫃石島橋のケーブル架設中、この現象を目の当たりにして驚いた。「放っておけば思いがけないトラブルも…」。揺れは、前後のケーブルを結ぶことで食い止めた。
|

