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(4)世界一の後 迫られるコスト削減
このピアノ線の断面積一平方ミリ当たりの強度は一八〇キロ。長大橋先進国の米国で一九三一年に開発された最大強度一六〇キロ級を半世紀ぶりに塗り替えた。 本四架橋実現の可能性を探っていた六〇年代前半、建設省は鉄鋼六社にケーブル試作を依頼し、三社が研究を続けた。飛躍の転機は、明石がもたらした。 「本四はブランド」 「長さ四キロもの橋を支えるには、新素材をつくるしかない」。神戸製鋼所開発専門部長の隠岐保博(49)は、強度アップのため鋼にシリコンを加えた。入れ過ぎると硬くなり張力が弱くなる。混合濃度を調整する工程を編み出した。実用化までに、研究員十人が三年がかりで取り組んだ。 世界水準に追いつけ、追い越せと、官民挙げて突き進んだ長大橋への挑戦。「国力が上り調子の時期だからできた。本四に使われない鉄は格下げになるなど、産業界のブランドでもあった」と本四公団第三建設局初代局長の多田安夫(74)。建設省、公団による業界育成を、護送船団方式に例える企業関係者もいる。
橋梁(りょう)メーカーの宮地鉄工所(東京都中央区)は、技術力で町の鉄工所から大企業へ脱皮した。社長の沢井広之(64)は「売上だけでなく、世界水準の技術を身に付け、ステップアップした」と振り返る。本四特需は造船不況のカンフル剤にもなった。瀬戸内の造船所は橋梁部門を強化し、受注合戦を展開した。 業界のすそ野が広がり、世界一の橋を実現させるべく、新しい素材や工法、装置などが続々と生まれた。だが官主導の技術至上主義は、コスト意識や経営感覚とは縁遠いものだった。 「頑丈で良い橋を残すために、新しい技術がいるところには金を投じた。世界有数の国家プロジェクトを完遂する使命があった」と本四公団理事だった大橋昭光(69)。受注側の沢井は「ミクロン単位の精度を要求されたが、本四関係の単価は他の橋より一〜二割は高かった。その分、研究開発や設備投資に金を回せた」と話す。 技術至上の終えん 地域開発橋と呼ばれるしまなみ海道。尾道―今治間の日交通量予測(開通初年度)は三千五百八十台と瀬戸大橋の五分の一だが、橋はすべて四車線対応である。「膨大な建設費を考えると、二車線橋でもよかったのに」といぶかる地元住民も少なくない。「技術優先」と評される公団は、「高規格道路だから」と二車線橋を検討してみる発想を持ちあわせていなかった。 本四に三橋を架けた技術の進歩を「国力のしからしむるところ」と表現した大橋。マイナス成長の成熟社会を迎え、「今後はコスト削減なくして橋はできない」と断言する。橋梁メーカーは国内外から低コストの橋を求められ、リストラに追われている。 巨大事業の完結は、技術開発優先時代の終わりでもある。本四架橋が生んだ技術をどう使い回し、他分野に転用するか。経済性の追求が次のテーマになる。
(敬称略)
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