1998.12.12 
title (2)落差を埋める

「産業観光」取り組み着々

map  それは、確かにつり橋だった。今治市本町四丁目の商店街。架橋誘致運動が盛んだった一九六八年ごろ、商店主の一人、豊島清隆=九〇年に八十二歳で死去=の呼び掛けでつくられたアーケードである。来島海峡大橋をイメージした赤茶色の鉄細工は風雨にさらされ、開通の日を待ち続けてきた。

 ♪橋をかけよう でっかい橋を 今治からだよ 尾道へ―。当時、今治の街角ではフランク永井の「でっかい夢」が流れた。今治みなと祭りでは、この架橋誘致ソングに合わせた踊りもお目見え。市民は尾道へも出張披露した。

大型店進出で打撃

 それから三十年。夢が現実になるというのに、街角から当時の熱気はすっかり影を潜めてしまった。大型店進出ラッシュがしにせの商店街を襲ったからだ。「橋が架かれば客が増える、と思っていた。だが今、道は狭い。駐車場はない。ここらは望みがなくなった」。豊島と一緒にアーケードづくりに取り組んだカメラ店主、藤岡正弘(76)は肩を落とす。

 四国の大阪と呼ばれた今治。陸海の結節点として造船、海運が盛んで、タオル生産量日本一の商工業都市である。だが、しまなみ海道に対し、漠然とした地域振興への期待感はあっても、どう使うかという戦略はあまり練られてこなかった。

 市で長く架橋担当を務め、「夢課長」と呼ばれた元助役、越智通寅(78)は「通過都市になるぞ。福山や尾道に客を取られる」と訴え続けた。こたえたのは、シンボルタワーにもなる高層ホテルを建設した造船会社一社だけ。結果的に「待ち」の姿勢が続いた。

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かつての架橋誘致運動をしのばせるアーケード。長さ約150メートルにわたり、商店街に連なる(今治市本町4丁目)
タオルのまちPR

 それでも本物のつり橋が海峡に姿を現し、夢と現実との落差を埋めようという動きがやっと出始めた。この三月、市や商工会議所などの代表でつくる協議会がファッションタウン構想を打ち出した。「産業観光」などをキーワードにした街づくりと物づくりへの取り組みである。

 まず「タオルのまち」のアピール。問屋へ一括納入してきた業界は、昨年から地元で展示会をスタートさせ、独自ブランドづくりに乗り出した。織機体験コーナーなどがある市内の施設を情報発信基地に、今治タオルの魅力を知ってもらおうという狙いだ。

 地場企業の日本食研は、市内に完成させたハム研究工場の一般見学を来年一月から受け付ける。隣接地に、三年後の建設を目指す十階建て本社には食文化博物館併設の計画がある。自社商品のほか、食文化に関する資料収集、展示を検討中だ。

 商店街も構想で提案された「ブライダルストリート」に呼応し、十月、呉服や貴金属などの店が並ぶ通りでイベント結婚式を実施した。商議所も空き店舗対策を兼ねた「しまなみスタジオ」「ふれあいくるしま館」を十一月に開設。大島石を使ったオブジェ展などを開いた。

2000年以降の姿探る

 橋を架けることが官民挙げての目標だったこれまで。架橋後をにらみ、今治青年会議所は二〇〇〇年以降の未来像を探る委員会を発足させた。「よそから見て、三本も橋をかけて、とは言われないようにしたい」と理事長の山下英二(37)。「自力」で地域づくりに取り組む意識改革の大切さをかみしめている。

(敬称略)


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