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(4)ファンづくり 町自慢地道にアピール
ブランド化を図る 「宮窪で取れたデベラが尾道で干されて名産になっている。ここで売らないと、宮窪の魚にはならない」と宮窪水産研究会会長の藤本二郎(40)。昨年三月から若手漁業者たちが始めた漁師市の目標は、宮窪の魚のブランド化である。 宮窪町には三百五十人余りの漁業者がいる。しまなみ海道沿線でも屈指の漁業の町だが、漁獲は仲買人を通じて尾道や三原へ。宮窪産のイメージは薄く、安く買いたたかれることもあった。しまなみ海道開通をにらみ、藤本たちは取るだけの漁業から直売へ目を向けた。今年一月からは、デベラ干しの産直販売にも取り組んでいる。
エビは生きたまま売るなど、藤本たちは取れたての新鮮さにこだわる。「宮窪の魚のおいしさを知ってもらえば、必ず入り込み客は増える。将来はいつでも魚が買える朝市が宮窪に立つようにしたい」と架橋後をにらむ。 町南部の谷あい、ぜいたくに石を配した石文化運動公園がある。宮窪町は、国会議事堂や心斎橋にも使われ、高級墓石として名高い「大島石」の産地。そのもう一つの顔を利用した町おこしを探るのが、会員二十二人の石彫サークルである。 大島石の廃材を活用し、彫刻や工芸品作りに取り組む。会長の矢野昌孝(55)は「石のモニュメントを町内にいっぱい建てて、石の町をアピールしたい」と意気込む。土産物づくりも試作中だ。 宮窪町には三島村上水軍の一つ、能島村上氏の本拠地だった歴史もある。九〇年には小早船二隻を復元し、翌年から水軍レースを始めた。隣接する伯方、吉海両町と共催し、今年は九百人を超える参加者が集まった。 水軍レースに人気 「どの島も同じようなことをやったのでは行き詰まる。魚、石、水軍を柱に宮窪ならではの個性的な顔をつくり、都市部との交流を広げたい」と町長の菅原恒夫(66)。三年連続で松山市から水軍レースに参加した公務員岡本桂成(40)は「櫓(ろ)がうまく漕げずに負けてばかり。一回勝つまでは」。島の魅力のとりこになり、通い続ける一人だ。 町内には民宿、ホテル合わせて六軒あり、約百七十人が泊まれる。夏場は遊魚客でにぎわっているが、「橋ができると宿泊客が減る」との不安を抱く経営者もいる。民宿「魚芳」を切り盛りする原美智子(55)は「宮窪にはおいしい魚がある。泊まってゆっくり味わってもらえれば」と魚料理の充実に力を注ぐつもりだ。 町観光協会長の矢野久志(53)は「大勢ではなくとも、目的を持って訪れてくれる人に喜んでもらえるような町づくりをしたい。ゆっくり地道に宮窪ファンを育てたい」。身の丈にあった島おこしの戦略を描いている。
(敬称略)
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