| たっぷり届く太陽の光、繰り返される潮の満ち引き。干潟は地球上に生命が誕生した海の揺りかごである。魚介類の産卵を見守り、稚魚をはぐくむだけでなく、小さな生物の食物連鎖で海の浄化を助けてきた。人工干潟がつくり出される一方で減り続ける自然干潟。瀬戸内海の秘めた力をどう回復するか、が問われている。 |
| 人工干潟 広島・五日市 |
■沈下・流失…やせ細る広島湾でも水鳥の飛来地として有名な八幡川。その河口西側に、県が九一年に四十二億円をかけて造成した人工干潟が東西二百五十メートル、南北約一キロにわたって広がる。「野鳥の楽園に」と作られた干潟だが、完成直後から地盤が沈み、干潟は今も少しずつ細り続ける。
「測定は六カ所。完成から五年で一メートル前後沈みました」。広島港五日市地区の港湾整備事業で造った人工干潟を管理する広島県港湾振興局の吉田義和工務課長が測量データを示した。最高百二センチから六十七センチまで。年に十五―二十センチ沈んだ計算である(図表3)。
◆台風で南端部を失う
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| 広島市佐伯区の八幡川右岸に広がる人工干潟。南側の砂浜が波で洗われ、基礎工事の石垣部分が露出している |
予想しなかったことも起きる。干潟最の南端部では九三年の台風19号で土砂が押し流された。沈下量を調べる測定装置も流れたため、さらわれた砂の量は今もはっきりしない。
◆中央部へ山砂を補充
二年前、県港湾振興局は干潟の中央部へ山砂一万一千トンを補充した。補った砂の周りに漂砂が集まり、干潟が自然に回復するかどうかを見るための措置である。経費は砂の購入費や工事費合わせて約二千万円。干潟全体では二十万トン以上の砂がいる。「砂を入れる度に重みで沈下が繰り返される。さらに補充するかどうか含めて検討中」と吉田課長は干潟管理の難しさを認める。
「干潟が減れば、干潟生物にも影響が出てくる」と指摘するのは、広島大学学校教育学部の鳥越兼治助教授(49)。県の委託を受けたチームのメンバーとして八幡川河口域と人工干潟の計六カ所で生物調査を十年間続けてきた。これまでに確認された干潟生物は八十二種。うち人工干潟で三十五種。「塩分濃度も変化するし、動けない生物は死ぬ可能性もある」。人工干潟の二カ所で見つかった種はここ三年間、減少または横ばい状態である。
干潟の減少は、野鳥にも微妙な影響を与える。人工干潟が完成した直後に四千羽を超えたが、ここ二、三年は千―二千羽を推移する(図表4)。「干潟のアオサを食べるガン・カモ類と干潟の生物をえさにするシギ・チドリ類の減少が顕著。最近は一日に五百羽を切ることもある」と日本野鳥の会県支部役員の日比野政彦さん(46)。
日比野さんは「野鳥や干潟生物を戻そうと努力して作った人工干潟は意味がある」と評価する。だが、五日市干潟のように護岸と海の近い横長の干潟は、えさを取る面積が狭く、鳥と人間とが近くなる。「これ以上細らないようにしないと干潟機能は失われてしまう」と心配する。
埋め立てなどで消える干潟の代わりにつくり出した干潟。自然だけでなく人工の干潟を守ることがいかに難しいか。瀬戸内海を守るための知恵が求められている。
| 曽根干潟 北九州・小倉南区 |
■息づく多様な底生生物海岸線のほとんどを開発し尽くした北九州市の南東部。小倉南区の周防灘に面して、瀬戸内海で最大規模の曽根干潟が広がる。干出面積五百十七ヘクタール。「都会の近くにこんなに豊かな自然があること自体奇跡ですよ」。四年前に発足した市民団体「曽根干潟を守る会」の山本哲江代表世話人たちが驚嘆する干潟を会員と一緒に歩いた。
コンクリート護岸から干潟に降り、一・五キロ沖に浮かぶ間島を目指す。干潮時には間島まで渡れるほどの遠浅が続く。四つの川が流れ込む干潟の土質は、ヨシ原、泥質、砂泥質、磯(いそ)など多様。途中あちこちの水辺でカモメやシギなどの群れを見た。
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| カブトガニやズグロカモメなど貴重な生物が数多く生息する曽根干潟。子どもたちにとっても豊かな自然とのふれあいの場である |
冬になるとガンカモ類一万羽、旅鳥のシギチドリ類は五千羽、留鳥のサギ類は二千羽以上が乱舞し、二百五十種以上の鳥が生息する。中でも、世界で二、三千羽しかいないといわれ、世界自然保護連盟(IUCN)が絶滅危ぐ種に指定したズグロカモメは、毎年二百羽以上が越冬。ツクシガモ、カンムリカイツブリ(いずれも絶滅のおそれがある危急種)など貴重な鳥も多く、多くのバードウォッチャーが訪れる。
「これだけの鳥が集まるのも、干潟の底に息づく生物の豊かさがあるから」。守る会会員で、底生生物の採集調査を三年前に始めた原戸真視さん(60)=北九州市八幡区=は、鳥に見向きもせず干潟を掘り続ける。
これまで確認した干潟生物は二百七十種。水産庁のレッドデータで絶滅危ぐ種のカブトガニ。環境庁版で希少種のハクセンシオマネキ。曽根干潟など限られた海域でしか確認されないアオギスは、国の天然記念物指定に―と守る会が文化庁へ働きかけている。
二百八十種の干潟生物がいる長崎県・諫早湾(三千ヘクタール)に比べて六分の一の面積だが、種類はほぼ同数。曽根干潟の豊かさは全国でも類を見ない。干潟は水鳥の繁殖だけでなく、多様な生物による浄化、魚介類の稚魚を育てる力を持つ。水鳥と湿地保護を目的としたラムサール条約登録指定の基準を満たす干潟でもあり、指定を受けられるよう運動を進めている。
「恥ずかしいけど貴重な干潟だと気づいたのは調査を始めてから」と山本さん。守る会が発足したのは、北九州市が周防灘開発構想を発表した九四年。現在、干潟の沖約六・五キロに人工島(百五十三ヘクタール)を建設中で、二〇一〇年に新北九州空港として開港する。干潟一帯を新空港へのアクセスゾーンとして埋め立てる計画があることを知り、反対に立ち上がった。
「大事な干潟なのに人間は気付かないで次々と埋めている。貴重な種や多様な生物のいる環境を見直すべきだ。干潟でせっかく育っても、工事の粉じんや水質汚染のひどい海で生きていけるのか」。原戸さんは沖で建設が進む人工島に目をやった。
◆埋きれいな水域に放流
こうした変化の中で、広島湾でのナマコ漁獲は六八年をピークに急減した(図表5)。以前は青ナマコだけ捕っていたが、今では加工用にしかならない黒ナマコが漁獲の半分近い。
浜木綿丸が所属する三高漁協は、水揚げするカキに付いた稚ナマコをナマコ礁に返すなど資源管理にも目を向け始めた。三月の操業最終日には、広島湾奥で集中的にナマコを底引きし、きれいな水域に放流する。ナマコを見殺しにはすまいという、救出作戦である。

環境庁の調査によると、瀬戸内海の干潟面積は、一九四九(昭和二十四)年に一万五千二百ヘクタール。高度経済成長に伴う埋め立てで、七八年に一万二千五百四十八ヘクタール、九〇年に一万千七百三十四ヘクタール―と、戦後四十年間に二三%の干潟が消えた。現存する干潟は大阪湾が十五ヘクタールと最も少なく、播磨灘百五十七ヘクタール、広島湾三百九十四ヘクタールなど都市部に近い海域が埋め立ての影響を受けた形。一方、周防灘の干潟は七千二百三十三ヘクタールと、瀬戸内海全体の約六割を占めている(図表2)。 |
| 天 然 浄 化 槽 |
干潟は太陽エネルギーで働く「巨大な天然浄化槽」といわれる。干潟の底泥に住むゴカイや貝などの生物が、生活排水や富栄養化した海水を浄化するためである。自然干潟のメカニズムと干潟に潜むクリーンパワーをみた。
「アサリ一個で一時間に一リットルの汚水を浄化するんですよ」。愛知県・一色干潟(約千ヘクタール)を三年前の春と秋、年四回調査した同県水産試験場の青山裕晃研究員(32)は、「窒素に限定した研究」と前置きしたうえで食物連鎖による干潟の浄化能力を高く評価した。
河川から一色干潟に流れ込む、富栄養化の元となる窒素は、夏で一日一トン余り。窒素はまず、植物プランクトンなどが取り込む。植物プランクトンはアサリなどの二枚貝の主食。ストローのような水管で吸い込み、体内のフィルターでろ過する。海で異常発生した赤潮の植物プランクトンも二枚貝が取り込んで浄化する。
ゴカイは、貝などが作り出したふんを食べ、ゴカイのふんはさらに、バクテリアと原生動物が分解。作り出された無機物の栄養塩は、アシや海藻などが育つ肥料となる。
試算では、一千ヘクタールの一色干潟に住むアサリなどの生物が一日に除去する有機窒素量は九百八十八キロ。干潟に入る窒素の約九割の量になる。取り除いた窒素の総量を、汚濁の指標である化学的酸素要求量(COD)に換算すると一日四・八トン。計画処理人口十万人の下水処理施設に匹敵する能力で、処理場を建設するとすれば用地取得などを含めて八百七十八億円、別に維持管理費が年間六億円かかる、ことになる(図表5)。
戦後、瀬戸内海で消えた自然干潟は約三千五百ヘクタール。建設費約三千億円の下水処理施設を失った計算である。
青山さんは「干潟の浄化能力の研究はまだ始まったばかり。干潟の規模によって浄化パワーは異なるし、本当の能力についても未知数」という。浄化能力だけでなく魚を育てる力がある干潟を守ることは、きれいな海と豊かな資源を保護することでもある。
| 新せとうち学 |
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