若い力 湾再生けん引/後継者の挑戦



 
海の懐に抱かれて育ち、出荷の日を待つ名産「広島カキ」
(広島県沖美町)


 ことし六月、広島市であった「カキ・サミット」に全国の業者が集まった。舞台裏を支えたのは、広島の若い後継者だった。

 広島港からフェリーで四十分。能美島が厳島と向き合う辺り、沖美町は「カキと花」の町である。サミット実行委員会の副委員長だった河野祥和さん(31)の作業所は、広島湾に突き出す鼻の内湾にあった。

 「会社勤めもしたけど、どうも海のそばでないと落ち着かん。子供時分は、潮が干いたらイワシが浜によう打ち上げられた。そのころはカキも良かった」

 美能漁協のカキ業者は九人で、網漁などの五十四人に比べ少数派である。ところが青年部の十人となると、カキが九人で逆転する。経営が安定しているカキは、後継者が多い。

 「最近はカキの育ちが悪いし、特産ナマコも減ってきた。若い者には海が変わるのを何とかせんにゃあ、という思いが強かった」と河野さん。それが具体化したのは、ここ数年である。

 チヌの稚魚を放流し、一九九六(平成八)年からは養殖カキの殻につく稚ナマコを沖に放し始めた。しばらく網に入れ、カキを洗った時の傷を治して放す。

 「網漁の人も同じ海を使う。お互い協力すれば、海は守られる。そういう気持ちが、みんなにあったんです。魚にええ海はカキにもええんじゃから」。ことし秋は、島の公園の遊歩道にブナ、カシの苗木百五十本を植えた。

 昔は浜に松林が突き出て、その影に魚が潜んでいた。「魚付き林」である。それが、いまは海岸道路などで消えた。近くの島に魚付き林をと考えたが、民有地で難しく、とりあえず公園にした。

 植林は毎年続ける、という河野さんは「広島市で太田川の上流に植林しているグループとも、交流が持てれば」と期待する。

 稚ナマコの放流で言えば、隣の三高漁協が先輩である。一緒にカキ・サミットを支えた仲間でもある。

 「カキの排せつ物で漁場を傷めとるし、いかだも増えて漁の邪魔になっとる。減ったナマコを放流したら少しでも漁の人の手助けになると、五年前から先輩たちが始めたんです」。青年部長の野村憲二さん(26)が教えてくれた。

 野村さんらは「新しいカキの商品化を」と、ことしから実験も始めた。「ワカ」といって戦後、六〇年代半ばまで広島カキの主力だった一年物の復活である。

 夏採った種をいかだにつり、翌年の二、三月に出荷する、養殖の「原点」ともいえるカキである。いかだが増えて海の力が衰えるにつれ、二年物に主役の座を譲り、姿を消した。

 「いま主力の三年物は、いかだ一台にかかる経費も大きいし、へい死率も高い。ワカは小粒かもしれんが、味で勝負したい」と野村さん。いま青年部員がいかだにワカをつり、身入りを調べるつもりだ。

 漁場の悪化、貝毒、新型赤潮、へい死…。「いろんな問題が一気に出た感じ。先行きは暗いよ」。若い後継者たちは厳しい現実を見つめる。

 一方で、流れを変えようと模索しているのも彼らである。「海底耕運にしても、広島湾に栄養分を運ぶ太田川の水量を、もっと増やすよう働きかけるにしても、みんなと力を合わせたい」と野村さんは言う。

 「広島湾はまだ生きている」と心底思うからだ。

      (おわり)


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