'98/3/10

タイトル

 関門一体で共栄の道 −一衣帯水−

 下関市はこの二月、二〇〇一年春オープンを目指す新水族館の計画を明らかにした。

 水族館といえば、対岸の北九州市門司区には苦い思い出がよみがえる。

 関門橋の門司側の和布刈(めかり)地区にはかつて水族館、ロープウエー、菊人形館があり、にぎわった。まだ五市合併前の門司市の時代のことである。

写真
関門橋
1日平均3万1千台が通行する本州、九州を結ぶ大動脈だ
(向こう側が下関市)
 その後、海峡を隔てた眼前の下関も水族館を造り、火の山にロープウエーをかけた。おまけに菊人形まで名物に仕立てた。

 門司側は「力の強い下関に門司はやられっ放し」と、高杉晋作に攻められた小倉戦争まで持ち出し、じだんだを踏む。

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 末吉興一北九州市長は、かつて下関市で開かれた日本海峡フォーラムで「水族館もロープウエーも下関にできたら、全部つぶれた。同じものは今後つくらない。これからは協調せねば」と関門の一体化をにじませた。

 九州の玄関、関釜連絡船や欧州航路の港、水産業で栄えた二つの町に昔日の面影はない。

 関門国道、新幹線のトンネルが海底を走り、一九七三(昭和四十八)年に海峡に関門橋が架かる。それぞれの町が、トンネルや橋を起爆剤に活気を取り戻そうとしたが、いつも夢物語に終わった。それどころか「落日の町」「通過都市」のレッテルが現実のものとなった。

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 元気を取り戻し始めたのは、ここ四、五年のことである。

 海底の国道、新幹線、さらには関門橋で、すっかり取り残されたJR門司港駅が一転、支えとなった。一九一四(大正三)年建築のレトロな雰囲気を漂わせる木造駅舎を核に、明治、大正の洋風建築を再整備し「門司港レトロ」として売り出した。

地図
 年間観光客は一気に五倍の百二十五万人に膨れ上がった。対岸の下関にも新名所「海峡ゆめタワー」ができた。

 門司港栄町観光案内所の観光ガイド内山昌子さん(57)は、観光客に何度も下関のことを訪ねられる。このため案内所に、下関のパンフレットも置く。

 「門司のお客さんにも下関を見てもらいたい。門司と下関は昔から関係が深い。門司もレトロ建物だけでは飽きられる。関門一体になれば、さらに歴史の深さを味わえるはず」と言う。

 内山さんは月に数回、連絡船でわずか五分の下関に渡る。市役所で観光パンフレットをもらい、買い物も史跡散策もする。

 いまや夏の一大イベントとなった海峡花火大会は、両岸で八十万人の見学者でにぎわう。

 五年前まで、下関が一万発なら、門司は一万二千発といったように数を競い合った。「実行委員会を組織して、現在は八月十三日夜、一斉に二万発ずつ上げる。一時間かけての花火は、海峡に映え、それは壮観です」とは北九州市観光協会の福本啓二主幹(34)。互いに対岸の花火にため息をつく時、関門の一体感を実感するという。

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 海峡のいい風景を探し歩く下関の「馬関めぐりあい探偵団」メンバーの日高まり子さん(47)は「この海峡を渡るのは、まるで買い物感覚。県境を越えるという意識はない」と話す。

 門司レトロも、下関の海峡ゆめタワーも対岸の美しい夜景を売り物にしている。両岸をライトアップした関門橋が結ぶ。

 「競争するんでなく一緒にレベルアップしてこそ生き残れる」。一衣帯水の関門海峡を行き来しながら、日高さんらはつくづくそう感じている。


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