
'98/3/11
野犬に追われ姿消す −タヌキの島− 防府市三田尻港の眼前にある向島は、ひょうきんなタヌキのモニュメントが迎えてくれた。 半農半漁の島は名だたる「タヌキの島」として知られる。島のあちこちに「国指定天然記念物、向島タヌキ生息地」の看板がある。 簡単にタヌキと出合えるのかというと、そうではないらしい。島の人でも、最近は一度も見たことはないそうだ。
満潮時に、マストなどの高い船が近づくと遮断機が下り、ゆっくりと橋が回転、船がすり抜ける。しかしその光景もいまではすっかり回数が減った。 防府市漁協向島支所で会った四人の女子職員はいずれも長年、本土側から車通勤しているが、だれも橋が回転したのを、見たことがないという。
本土側の問屋口に住む三上孝次郎さん(61)は、一九六九(昭和四十四)年から錦橋の番人を務める。 「最近はすっかり通過する船が減ってしもうて。今は二カ月に一、二回というところですわ」。それでもいつ来るとは限らないので、日中の満潮時前後三、四時間は橋上の操作室で水道の東西を見詰め続ける。 この仕事を請け負った当時は、目まぐるしい忙しさだった。機帆船の全盛期。九州方面から三田尻港に出入りするのに向島の南を迂(う)回するより、距離が短いうえ、強風を避けられた。 鐘紡工場に入る石炭船、百トン級の機帆船が頻繁に行き交い、一日最高二十五回も橋を回転させたことがある。 「島にはまだマイカーは少なく、車より船が優先の時代でね。今は朝夕のラッシュ時に船を通そうものなら大渋滞。車に遠慮して、船の方が大回りするんですよ」と言う。
タヌキが国指定の天然記念物になったのは一九二六(大正十五)年のこと。広葉樹林に覆われた錦山(三五四メートル)を頂く島はタヌキの生息に適していた。戦前には三千匹いたと推定される。 ところが五〇年、島に錦橋が架かり地続きとなった。捨てられたり、本土から渡った犬が野生化し、島にすみつき、タヌキを駆逐した。過疎化も進み、山の手入れが行き届かず、えさの実のなる森が荒れた。 市は島の西端の小田地区に、野犬からタヌキの生息地を守る防護フェンスを作るなど保護策を講じる。しかし年ごとに減少し、姿を見る機会はなくなった。 島で育った三上さんも「橋のないころは家の裏までタヌキはやって来た。今じゃ橋の回転より、タヌキを見る方が難しい」と言う。
八〇年代後半、バブル景気のころ、この島にもホテル、ゴルフ場などのリゾート計画が持ち上がった。水面下で進んだ計画も、天然記念物ゆえの文化財保護法、市街化調整区域の規制に阻まれた。 「観光開発に後れを取った」との声と「タヌキが島の自然を守ってくれた」という声が、今も島でささやかれる。 そのタヌキは九六年の市の生息調査でも、数カ所のふんを残すだけで姿を現すことはなかった。五十匹前後ともいわれるが確かな根拠はない。「タヌキの島」もすっかり看板倒れとなった。
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