'98/3/12

タイトル

 「本場」復活夢つなぐ −フグ縄発祥地−

 徳山湾と笠戸湾を仕切る大島半島の南西端。徳山市粭(すくも)島の漁師は、フグ談義になると目の色が変わる。

 半島と結ぶ七十メートルの小瀬戸橋を渡ると、海端に石碑があった。「ふく漁発祥の地」。明治十年ごろ、粭島の漁師がフグはえ縄を考えた、と刻んである。なるほど男たちの声に力が入るはずだ。

 人口約五百人。小さな三角形の島の、徳山湾に面した側に集落が続く。みこしが海を渡る夏祭りで知られる貴船神社の裏で、高松平八郎さん(75)ははえ縄のおけを手にしていた。

 「この針金に、えさを付けた釣針がつくんよ。昔は生かしきれんほど釣れた。フグは下関の市場に船で運びよった」

 高松さんは、十五歳のころからフグを追った。「漁は九月からで、年内は周防灘が漁場よ。寒うなるとフグが南へ下がるから日向灘、長崎県沖と追いかける」。三月の彼岸にはフグの味が落ち、漁は終わった。

写真
小瀬戸橋
小さな橋でも、島の栄光のあかしに変わりない
(向こう側が粭島)

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 昔話は威勢よかった高松さんだが、昨今の漁になると口ぶりは重い。

 徳山市のフグ漁獲量を見ても、それはうなずける。一九七〇(昭和四十五)年でも五百トンを超えたのが、ここ数年は五十トンを割る。かつて粭島の漁師のフグが七割を占めた下関市場へも、今は小瀬戸橋を渡り、水槽つきの小型トラックで運ぶのが精いっぱいという。

 もともと粭島は海運と漁業で栄えた。その象徴が、貴船神社の前に胸像がある石丸好助翁であった。

 明治末から北洋でのサケ、マス漁で財を成した石丸翁は三三(昭和八)年、郷里の太華村の村長になる。在任中の三五年にできたのが小瀬戸橋である。

 村は、半島付け根の櫛ヶ浜(くしがはま)などと粭島が合併してできた。櫛ヶ浜に比べ粭島の立ち遅れが目立ち、道路づくりと併せて橋の建設が決まった。粭島の繁栄のあかしであり、瀬戸内海でさきがけの橋でもあった。

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地図
 港で、船の手入れをしていた高松勇兵さん(84)に会った。現役、最長老の漁師である。

 余談だが島は高松、石丸姓が多い。だから四国から人が来た、との説もある。さて勇兵老の話である。

 「七十年も船に乗っとる。戦前は遠洋底引き漁で東シナ海へも行った。フグはえ縄は戦後、始めたですいね。大きい船は黄海へも行ったけど、十数年も前から漁が悪くなり、外海には行かんようになった」大きい船では船方が雇えず、一人乗りの船が増えた。フグの漁期、人より早く漁場につくため、底引き漁の規制を超えた強力エンジンをつけた。底引きとの両用ができなくなり、ほとんどの漁師がフグ一本になる。

 バブル時代。漁は年中となって小さい魚も捕り続けた。最近は四、五月を休漁にしたが、漁獲は復活していない。

 「昨年の十一月に八キロ捕ったんが最高よ」。勇兵老はひとりごちた。

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 港のそばに「フグ料理」の看板があった。海運会社を営む高松保彦さん(68)が八年前、島の女性の料理の腕を生かそうと始めたが、肝心のフグが不漁で、今はとん挫している。

 「夏はウニを土産物にしたい。それに本物のフグ料理を…。橋でつながっているんだから」。フグ漁復活にかける島の夢を、小瀬戸橋が辛うじて支える。


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