'98/3/13

タイトル

 歴史の町 海業と連携 −二つの港−

 JR柳井駅からバスに乗った。山口県上関町まで約五十分の行程である。

 室津半島の西南端に位置する室津と、海峡を挟む長島の上関は、かつて帆船が潮待ち、風待ちする港としてにぎわった。

 バスの終点近くの丘に登った。中世、村上水軍の城があった頂から出船、入り船が一望できる。馬島、佐合島、長島と半島に囲まれた海はまるで湖のように穏やかだ。二つの港は狭い海峡を包むように向き合う。

 一九六九(昭和四十四)年にできた上関大橋が二つの港を結ぶ。貨物船、漁船の動きがせわしい。幅約百五十メートルの海峡は、今も重要な航路なのだ。

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写真
上関大橋
海峡は主要航路貨物船や漁船が橋をくぐる
(左上が室津、手前が上関)
 江戸時代から昭和にかけての建物が混在する上関の町を歩いた。寺の門が、朝鮮通信使を迎えた館の門だったりする。家並みのちょっとした空間にも歴史が息づいている。

 「上関は江戸時代の半ばから塩、魚など扱う回船問屋を中心に商人町として栄えてきたんです」。漁船がもやう港そばの商工会館の一室で、植田吉助さん(80)は熱っぽく語る。

 町史の編さんに携わり、その仲間たちと「かみのせき郷土史学習にんじゃ隊」をつくった植田さんは、古文書など古里の歴史の掘り起こしを続ける。

 「瀬戸内海の港町は、上関と福山の鞆が中心。上関は港の側に道路ができただけで、昔の町割りは変わっていない。歴史と文化をなんとか町おこしに生かしたい」と言う植田さんに最近、強い味方ができた。

 とんどに似た神明祭など伝統行事を保存する若者グループが育ってきたのである。顔をのぞかせた芽がなんとか実を結ぶよう、植田さんは温かく見守り続けている。

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地図
 中世から江戸にかけて栄えたのが上関なら、海峡を挟む室津は、幕末から長州藩の奇兵隊が駐屯して歴史の舞台に躍り出る。

 しかし今は港に漁船が並び、干し魚が軒先で揺れていて、すっかり漁港の風情である。その室津で、若い漁師たちが「シーパラダイス」という名の新しい観光漁業に取り組んでいた。

 「捕るだけでなく都会と結ぶ漁業を目指したい」。室津漁協の参事、外村美満さん(36)がアイデアを教えてくれた。

 「シーパラダイス」は後継者が育つようにと、九六(平成八)年春から始めた。広島など都会からの客は朝、前日に仕掛けてあった網を揚げて漁を体験する。釣りをし、新鮮な魚料理も楽しむ。広島市内でチラシを配ったりし、宣伝してきた。

 取れたての魚を売る朝市も、日曜と水曜に続けている。旬の魚を知ってもらうため、漁協の婦人部が朝市で料理法を伝授する戦術も始める。

 「巻き貝が採れる浜、面白い形の岩がある磯(いそ)の風景も見てもらいたい」。外村さんらは、海のすべてを多角的に売り出す「海業」にかける。

 そして室津の海業と上関の歴史が重なる町並み観光が、うまく補完し合えたらと願う。

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 上関大橋ができるまで室津、上関の住民はことある度に角付き合わせた。橋で結ばれてからは中学校も統合され、わだかまりも消えた。

 「海にこだわり、自分たちの手でできる町づくりを考えたい」。にんじゃ隊のメンバーも、外村さんも思いは同じだ。


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