'98/3/17

タイトル

 主役交代 船から車へ −県境またぐ

 芸予諸島のほぼ真ん中にある愛媛県関前村の岡村島と広島県豊町の大崎下島が、今年の十月に橋でつながる。

 県境をまたいで、愛媛側から岡村大橋、中の瀬大橋、平羅橋の三つの橋が架かる。

 この三橋と大崎下島と豊島を結ぶ豊浜大橋は、ミカン産地の岡村島、大崎下島、豊島の三つの島を結ぶ「広域農道」。安芸灘の島しょ部と本土を結ぶ安芸灘架橋構想の一つでもある。

写真
岡村大橋
 右端の岡村島から岡村大橋、中の瀬戸大橋、平羅橋で県境をつなぐ
 目の前にある島同士だけに、つながりは深い。岡村島の大崎下島に面したミカン園の大部分は、豊町大長の「出作地」だ。大長の専業農家、本末満さん(50)のミカン園は栽培面積の七割近い一・九ヘクタールが岡村島に集中している。

 「軽トラックだと、フェリー代が片道千四十円かかる。農道橋でただなのがうれしい。船の時間を気にせんでもよくなるのも、助かります」

 本末さんは、橋の開通を心待ちにしている。

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 この県境をまたぐ橋に、最近タヌキのふんが見つかった。

 呉農林事務所の大崎下島農道建設事務所長、城下俊昭さん(55)が「ふんはタヌキの縄張りを示す印らしい。タヌキは一足早く、橋を行き来しているみたいですよ」と話してくれた。

 三つの島は、古くから今治市の経済圏ということでもつながってきた。今治と島々の物流を支えてきたのが「渡海船」だった。頼まれた荷物だけでなく人も運んだ島の便利屋さんは、大長港や豊島港と今治港の間を走っていた。

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地図
 渡海船の二代目船主、今村海山(ひろたか)さん(65)に会った。大長で食料品店を営む海山さんは一九四八(昭和二十三)年、父親が始めた渡海船に乗った。十六歳の時だった。

 「初めは小さな農耕船じゃった。十年ぐらいして、二十九トンの木造船『第八富士丸』を買った。見て下さい。これが富士丸ですよ」

 海山さんは、額に入れた船の写真を持ち出して、ほこりを払った。富士丸は、昭和四十年代まで瀬戸内海でよく見かけたポンポン船である。

 「行きはミカンを運び、帰りの便は島の小売店から頼まれた食料品が主じゃった。畳敷きの客室もあって、今治の病院に行く年寄りがいっぱいおった。しけで、三回は命を捨てたと思ったもんです」

 両親を亡くした二十年前、「これからは車の時代」と渡海船に見切りをつけた。それから船をトラックに替えて、商売を続けている。

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 現在は、三男の政博さん(36)が跡を継ぎ、毎日、四トントラックで今治を往復する。

 この日、朝七時のフェリーでコンテナ入りの大長ミカンを今治市場へ。午後一時、野菜、パン、牛乳などの食料品を荷台いっぱいに積んで帰ってきた。

 豊町の小売店に配達し、豊浜大橋を通って豊島にも荷を降ろした。豊島の渡海船が三年前に廃止になり、政博さんが豊島の荷も引き受けている。

 安芸灘架橋構想では、平成十年代の後半には豊島と蒲刈島の間に橋が架かる予定。そうすれば本土と岡村島までが地続きになる。

 「本土とつながると、経済圏が今治から呉方面に変わって、商売敵が車でどっと押し寄せるのではないかと心配」

 政博さんは、進む架橋に不安を感じている。


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