
'98/3/18
しわ刻む父母に笑み −帰りなんいざ 高台のビニールハウスに入ると、ビワが黄色に実っていた。卵大のビワを食べた。思っていた以上に甘かった。 「おいしいでしょう」。山田照子さん(66)が笑顔でさらに勧めてくれた。 二月下旬。訪れた広島県安芸津町の大芝島は、ハウスビワの出荷の最盛期だった。この時期にビワを食べたことはない。なにしろ一個が四、五百円の値がつく高級果物である。 周囲六キロの小さな大芝島は、ビワとミカンの産地。ほとんどの農家が両方を栽培している。この島に昨年十月、島民の念願がかなって大芝大橋が開通した。
照子さんは「ありがたい橋じゃ」と感謝を込めて踊った。というのも一昨年春、安芸津町の本土側に住んでいた長男の政数さん(45)家族三人が、島に戻ってきたからだ。照子さんは夫の正さん(69)との二人暮らしから、五人家族になった。 政数さんは、勤め先のJA芸南に車で十五分もあれば着く。「橋ができて、呉市から三原市までが通勤圏になりました。たまたま場所がよかった」 橋が開通するまで、公共の交通機関は一日五往復のフェリー渡船だけ。最終便が午後五時二十分だから、通勤しようと思えば自家用の船が必要だった。 一九六〇年代に五百人を超えた人口も、九七(平成九)年には百八十二人までに減った。島の小学校も九二年に休校になり、子どもの声が聞けなくなった。 ところが、橋が開通してからわずかだが人口が増えた。現在百八十五人。島では、若者のUターンした話題でもちきりだ。
トシエさんは七年前に夫を亡くして独り暮らし。ビワとミカンを合わせて一ヘクタールの畑を守ってきた。「息子が帰るまで、とがんばってきたけど、橋のおかげで帰ってくる。楽しみですよ」とうれしそうに言う。 町役場に勤める息子の守夫さん(39)は、妻と中学一年の娘の三人で借家住まい。五月の連休明けには引っ越す。 「結婚するまでは、自家用ボートで通っていた。農繁期にはちょくちょく帰っていたけど、住むのは十五年ぶりですよ」 シーズー犬と野良仕事に出かけるのが日課の橋本年則さん(75)宅は、近々改築工事を始めるという。呉市の会社に勤める、一人息子の浩文さん(37)は、安芸郡坂町に住む。 「母が四年前に亡くなり、年寄りを一人にしとくのが心配で…。夏には家族三人で島に帰りたい」 浩文さんは娘がまだ一歳。島では久々の幼児である。
島に橋が架かると、「ストロー現象」で人口は減っていくのが現実である。家へのかぎかけが日課になる。釣り人たちの捨てるゴミも増える。大芝島も課題を多く抱えている。 橋が開通して五カ月。相次ぐ若者のUターンもつかの間のことかもしれないが、島のお年寄りの顔は明るい。
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