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| 石切唄は消え、丁場にはドリルの音が 響き渡る (徳山市の黒髪島) |
修羅は大きな石を運び出すための丸太のこと。重機が発達したた め不要になった。唄の方も、とんとお呼びがかからない。
笠岡諸島の北木島と徳山沖の大津島。石の島を巡りながら、遠く 離れた二つの島の老石工が歌う石切唄が、気にかかった。
北木島の檜垣綾一さん(79)は、島の石工の長老の一人。石切唄で も大割、小割、発破穴を掘るときの唄などを自在に歌う。
父親が石工だった。十五歳でかしきと呼ばれる石切り丁場の下働 きになった。飯炊きと雑用を三年間こなし、ようやくノミとゲンノ ウを持った。親方について仕事を覚えるかしきあがりを二、三年し て、一人前になる。
「よう頭をノミでこづかれた。眠うなると焼け火ばしでつつかれ る。そうやってひとつずつ仕事を体で覚えていくんですわ」
飯だけは四回食べた。夕飯が終わるのが午後九時ごろ。それが終 わるとかじ屋仕事が待つ。百本近いノミを打ち直し、研ぐ。一日十 五時間働き、寝る時間は四時間に決めていた。
つらい仕事に欠かせぬのが、石切唄だった。長い柄(え)のゲン ノウで三人が火薬を詰める発破穴をあける時の唄を檜垣さんは歌っ てくれた。「道具が無いと唄は、出てこんのよ」とゲンノウを持ち 出した。
カッチン、カッチンとノミを打つ音が合いの手になり、独特の節 回しだった。
「わしらの若いころは、唄で互いの調子を合わせ、しんどさを紛 らわせたんよ。唄でもないとつろうてヤケがおきますわ」
嫁にいくなら石屋の嫁に 右も左も金ばかり…
逆にこういうのもあった。
嫁にいくなよ石屋の嫁に 岩がどんと来りゃあ 若ごけじゃな 大津島の石工、安達秋光さん(83)は七十一歳まで現役を続けた。 黒髪と大津島で、石切唄を歌えるのは、この人しかいないといわれ て訪ねた。
「久しゅう歌わんがのー」といいながら、石割りとノミを研ぐ時 の唄を歌った。
「機械が入りゃあ、のんきに歌っとる暇ありゃあせん。たばこ一 服しとる間に二、三メートルの穴などわきゃあない」。穴をあけるドリル などさまざまな機械が導入された一九六〇年代には、丁場から唄は 完全に消えた。
唄の文句は即興。嫁さん自慢があり、沖を行く船やカモメも飛び 出した。歌声で丁場は活気づき、仕事もはかどった。
唄はどこか似ていた。共通する節回しのなぞはすぐ解けた。
二人はともに愛媛県の大三島と伯方島の出身。大三島から黒髪島 に来た安達さんは同じ島出身の親方衆に仕事をたたき込まれた。 「黒髪、大津島の石工の九割は伊予の人。唄もなまりも伊予がまか り通った」という。
伯方島出身の檜垣さんは、北木、神戸御影、倉橋、黒髪、姫島と 瀬戸内の丁場を渡り歩き、北木島に落ち着いた。
「黒髪も北木も、いや瀬戸内海の丁場の唄のほとんどは伊予の島 の流れじゃないか」という。
大津島で最後の歌い手である安達さんは「ジェットバーナーの時 代じゃ。消える運命はしようがないかの」と寂しげだ。
唄は伊予の石工の流れに沿って瀬戸内海の島々で歌い継がれ、そ していま消えようとしている。