路地裏に栄華の名残/町並み保存



江戸時代にお茶屋として栄えた若胡子屋跡。町並みの中に
ひっそりとたたずんでいる

(広島県豊町御手洗)

 「大長ミカン」の名で知られる広島県大崎下島、豊町の大長港か ら海沿いの道を歩いて十五分。御手洗の町並みに入ると、郷土史家 の木村吉聰さん(84)がスニーカー姿で出迎えてくれた。  「歴史のみえる丘公園」に登ると、かわらぶき屋根のひしめく

集 落と港が見渡せる。島々に囲まれた沖合は穏やかで、風待ち・潮待 ちの天然の良港だと納得する。

 江戸時代の中ごろ、内海中央部の最短距離を通る「沖乗り」が主 流になると、北前船や諸大名の交易船の寄港地として栄えた。明治 になると汽船になり、鉄道の発達で港は急激に衰える。時代に取り 残されて、結果的に古い町並みが保存された。

 路地裏の隅々まで知り抜いた木村さんのよどみない説明を聞きな がら、路地を巡った。幕末に三条実美公らが都落ちの時に立ち寄っ た七卿落遺跡、なまこ壁と格子窓の屋敷、薩摩藩などが指定した船 宿…。江戸時代にタイムスリップしたような気持ちになる。

 重厚な入り母屋造りの若胡子屋跡に入る。最盛期には約百人の遊 女を抱えた茶屋だった。現在は公民館になっている。

 「座敷の天井板や障子の腰板、雨戸も屋久杉を使うちょります。 当時、薩摩藩が出すのを禁止していた品だから、いかにぜいをつく していたかが分かります」

 港に出ると、石で築いた千砂子波止や雁木(がんぎ)、常夜灯、 大小の灯ろうが並ぶ住吉神社がある。「玉垣には寄進した遊女たち の名前が刻まれているでしょう」と木村さんがのぞき込んだ。

 一九九〇(平成二)、九一年度に広島大の鈴木充教授(建築意匠 学)=現米子高専校長=が現地調査をした。その報告書には「江戸 時代の約二百年の間、時代に応じた発展を示し、その痕跡をいまも 集落内にとどめている珍しい町」とある。

 この御手洗が九四年、国の重要伝統的建造物群(重伝建)保存地 区に指定された。長たらしい名前だが、要は規制と補助金で歴史的 な町並みを保存しよう、ということである。

 町教委の土肥千穂さん(31)は、重伝建の担当として奔走してい る。鈴木教授の教え子で、四年前に京都のコンサルタント事務所を 辞めて島にやってきた。「こんな町並みが残っていたなんて、興奮 しちゃった。ガイドブックのコピーにあるように『歴史との粋(い き)な出会い』ですよ」と当時を思い出す。

 ここ二年間で二十六軒分の修復工事をこなした。「台風19号の災 害復旧と重ねて事業を進めたので、今のところ滑り出しは順調で す」と土肥さん。

 若胡子屋跡で「重伝建を考える会」の今崎仙也会長(61)に会っ た。「住民だれもが町並みのガイドができるように」と年四回、現 地で歴史の勉強会を開いている。雅楽教室、俳句会、写真コンテス トなどのイベントや、情報誌「みたらい通信」も発行している。

 「昔は『何しにきたんの、何もありゃしませんで』と言っていた のが、『案内しましょうか』と言うようにまでなった」

 重伝建の町並み保存事業は、最低十年はかかる。住民の意識は、 港町として栄えた歴史を知ることで着実に変わりつつある。


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