
| アマスポーツNOW |
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第1部 部が消える 6 | 1校1競技 |
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| 「小規模校でもやればできる」。全国大会出場を合言葉に、 ボレーを磨く広瀬中のソフトテニス部員 |
| 小規模校 活性化へ決断 |
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福山市中心部から北へ二十キロ。標高四〇〇メートルの山上に生徒数二十五人の広瀬中がある。運動部はソフトテニスだけ。全員がラケットを握る。「広島県に広瀬あり」。部が勇名を響かせるまでには、過疎と高齢化が進んだ広瀬地区(約百二十世帯)の現実と一つの決断があった。
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一九八〇年にさかのぼる。生徒が七人になり、学校は存続の危機に直面した。「地元に学校がないと、もっと過疎化してゆく」。住民が団結し、周辺に移り住んだ息子夫婦らに呼びかけた。「孫らを山へ」。八六年には十六人に増えた。二部に分散していた部活も、「このままでは元気が出ない」と、剣道部を廃止して一本化した。
| 地域も支援を惜しまず |
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住民も教育後援会を結成して支援。コートを四面に増やし、九一年には、当時では珍しい外部指導者も導入した。教員ではないコーチの県外引率は、職員会議で問題になった。
十年間、コーチを続ける鮮魚店経営の島田国三郎さんは「事故が起きた時の責任を懸念する声もあったが、『全責任を負う』と、いう校長(当時)の一言で決まった」と振り返る。意気に感じた島田さんの熱意で、部は力をつけた。九二年以後、中国大会の常連になり、九六年には男子が団体と個人で全国大会出場を果たした。
放課後の練習には、広瀬小の六年生も加わる。卒業生もひんぱんに訪れ、後輩を指導する。顧問の池本泰明教諭は「運動が苦手な生徒もいるが、三年間の積み重ねがあれば結果は出る。先輩の活躍が後輩の自信になっている」と、言う。
不登校児童も他学区から受け入れ、部活で生き生きと活動する。島田さんは「広瀬の生徒は個人戦で勝ってもあまり喜ばない。地域の人を含め、チームに対する思い、みんなでやったという意識が強い。学校が荒れる要素は全くない」と、言い切る。ソフトテニス部は地区のシンボルになった。
山口県大島郡大島町の沖浦中は、九〇年に六十六人いた生徒が今は二十人。九七年、バレーボールの女子がチームを組めなくなり、駅伝熱の高い地域の特性を生かし、陸上に絞った。部費は年間三万円。地域住民が投てきサークルを作るなど全面支援する。全国大会にも過去三年間で二人を送り出した。山元良子校長は「小規模校で何もないと、生徒は委縮する。陸上を誇りにしたい」。
山間部や島しょ部では、小規模校化で複数の部を維持できない学校が増えている。統廃合の問題や地域の活性化とも絡み、運動部が担う役割は重みを増す。