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昭和50〜60年代  強豪ずらり 一大旋風


昭和51年の選抜決勝で小山(栃木)を5―0で下し初優勝を飾った崇徳。左から三塁手槙村、遊撃手山崎、エース黒田


 五十〜六十年代は、活況の時代へと突入する。二十五年に四十三校だった広島の高野連加盟校は、六十三年には倍以上の九十三校に。山口も二十五校から五十九校へと増えた。さらに、四十九年から使用が認められた金属バットの影響もあり、飛躍的に攻撃力が向上。六十三年の広島大会では、s本の本塁打が飛び交ったほどだった。五十一年の選抜で旋風を巻き起こしたのが、初出場の崇徳である。これまで広島野球の代名詞とされていた「ち密で繊細な野球」から一転、「大胆かつ豪快な野球」で一気に頂点まで上り詰めた。

 五十五年には、広陵が渡辺一博(松下電器コーチ)〜原伸次(広島コーチ)のバッテリーで春四強、夏八強。五十七年の選手権では、広島商が準優勝した。

 六十年代に入ると、宇部商の活躍が目立つ。六十年選手権では、4本塁打を放った藤井進(元協和発酵)らの猛打が爆発し、決勝に。桑田真澄、清原和広(ともに巨人)のPL学園(大阪)と互角の勝負を演じ、準優勝した。

 以後も甲子園で奇跡的な逆転劇などを演じ、「ミラクル宇部商」との異名をとった。六十一年には選抜で広島工、尾道商がそろって八強入りした。

 六十三年に「広商野球」が、また花開いた。福岡一との決勝、0―0の九回に重広和司(元三菱重工広島)が勝ち越しの適時打。十五年ぶり六度目の頂点に立った。豪快なパワー野球が主流となりつつある中、大会記録となるi犠打をマークするなどソツのない堅実な野球で勝負強さを示した。

昭和40年代 | 平成
50年3月 選抜 広島工、倉敷工2回戦、倉吉北1回戦敗退
7月 選手権県大会地区割再編成で山口、岡山が単独県に
8月 選手権 広島商ベスト4入り。柳井商、江の川2回戦、岡山東商1回戦敗退 
51年3月 選抜 崇徳初出場初優勝。岡山東商2回戦、宇部工、大社1回戦敗退
8月 選手権 崇徳3回戦、浜田2回戦、宇部商、岡山東商1回戦敗退
52年3月 選抜 岡山南初出場でベスト4。瀬戸内、米子東1回戦敗退
8月 選手権 広島商、柳井商、浜田3回戦、水島工1回戦敗退
53年 甲子園大会登録選手数を14人から15人に
3月 選抜 南陽工ベスト8。崇徳、岡山東商、益田1回戦敗退
8月 選手権 全都道府県代表に。岡山東商ベスト4。広島工、南陽工、三刀屋、倉吉北2回戦敗退
54年3月 選抜 倉吉北ベスト8。下関商2回戦、府中東1回戦敗退
8月 選手権 広島商、豊浦、浜田3回戦敗退。倉敷商2回戦、境1回戦敗退
55年3月 選抜 広陵ベスト4。松江商2回戦、岡山理大付、倉吉北1回戦敗退
8月 選手権 広陵ベスト8。岩国商2回戦、岡山理大付、浜田、倉吉北1回戦敗退
56年3月 選抜 倉吉北ベスト4。尾道商2回戦、岡山理大付1回戦敗退
4月 広島が部員の県外出身者は1校5人以内に制限することを独自に申し合わせ
8月 選手権 下関商、鳥取西2回戦、広島商、岡山南、浜田1回戦敗退
57年3月 選抜 尾道商ベスト8。岡山南、浜田2回戦敗退
8月 選手権 広島商準優勝。益田3回戦、宇部商2回戦、関西、境1回戦敗退
58年3月 選抜 大社ベスト8。広島商、宇部商1回戦敗退
8月 選手権 宇部商ベスト8。広島商3回戦、岡山南、大田2回戦、米子東1回戦敗退
59年2月 教職に10年以上のプロ野球出身者に指導者の道が開かれる
3月 選抜 広陵、近大福山、多々良1回戦敗退
8月 選手権 岡山南ベスト8。広島商、柳井、益田東、境1回戦敗退
60年3月 選抜 宇部商2回戦、広島商、倉敷商1回戦敗退
8月 選手権 宇部商準優勝。広島工、岡山南、鳥取西2回戦、大社1回戦敗退
61年3月 選抜 岡山南ベスト4、尾道商、広島工ベスト8。防府商2回戦敗退
8月 選手権 広島工、米子東3回戦、岩国商2回戦、倉敷工、浜田商1回戦敗退
62年3月 選抜 広島商2回戦、大田、岡山南1回戦敗退
8月 選手権 関西ベスト8。広島商、徳山、江の川、八頭1回戦敗退
63年3月 選抜 宇部商ベスト8。倉吉東3回戦、西条農、広島工2回戦敗退
8月 選手権 広島商15年ぶり6度目の優勝。宇部商、江の川ベスト8。米子商3回戦、倉敷商2回戦敗退
11月 広島で1年生大会スタート。初代王者に崇徳