2001/2/16
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| 小川 邦和(尾道商) (7) |
| おがわ・くにかず 1947年2月1日、福山市生まれ。大成館中〜尾道商高〜早大〜日本鋼管〜巨人〜広島。通算248試合、29勝20敗9セーブ。引退後はロッテのコーチ、評論家などを経て、現在は東京都内にある企業の社員寮長。右投げ右打ち、投手。東京都中央区在住。 |
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| 「打者を抑えるのに一番重要なのは、球の速さではなくコントロール。それが僕の投球哲学だった」と、振り返る小川さん |
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| 64年の選抜準優勝に貢献した小川 |
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頂点目前…逆転を許す
下関商・池永正明(元西鉄)、北川工(現府中東)・高橋一三(元巨人)、倉敷商・星野仙一(中日監督)…。中国地方の一九六四年度の球児には、好投手が多い。春の選抜で準優勝し、旋風を巻き起こした尾道商の横手投げエース小川邦和も忘れてはならない。
六三年十一月の中国大会で準優勝し、選抜切符を獲得。春初出場ながら、怒とうの快進撃を演じた。小気味よい投球もさえた。抜群の制球力をベースに、カーブ、シンカーを自在に操り、準決勝までの4試合で3完封。
決勝の相手は史上初めて、初出場同士の対戦となる徳島海南。エース尾崎将司(プロゴルファー)もここまで3完封。180センチを越える尾崎を見て、「まるで後光が差しているよう」だった。170センチの小川も粘りの投球を続ける。六回、尾道商は相手守備の乱れをつき、2点を先制。「尾道市内をパレードしている姿が浮かんだ」
頂点まで残り3回。しかし、5試合を一人で投げ続けてきた小さなエースにも、限界が来た。疲れ、腰の痛み…。八回にはそれまで3三振と牛耳っていた尾崎に大三塁打を浴びるなどし、2―3の逆転負け。それでも悔いはなかった。「毎試合、次は負けるだろう、と思っていた。まさか決勝まで…。これが無欲の快進撃なんでしょうね」
小川が高校三年間で最も影響を受けたのが、指揮官の池田善蔵監督。元プロ野球選手で、ドイツ製のサングラスをかけた、いかつい風貌の名物監督。「決して褒めなかったが、敗戦の弁も絶対に語らなかった。選手の責任はすべて監督。本当の親分肌でしたね」
池田監督には「お前の実力は、中学生に毛が生えたようなもん」と、口癖のように言われていた。「俺だってできる、という反骨心があったのでしょう」。小柄ながら大型選手に真っ向勝負を挑み、準優勝投手にまでなった。プロ選手となってからも、反骨心が薄れることはなかった。
自らの可能性を試すため、七七年暮れには巨人を退団し、米大リーグで二年間武者修行し、3Aでプレー。広島を退団後の八四年にも、メキシカンリーグ入り。強い精神力とチャレンジ精神は尾道商時代が原点だった、と言える。
現在は、東京都内でシニアリーグの指導に携わる。「アマチュアはプロの養成場じゃなく、勝った負けたの世界でもない。野球を通しての教育、人間形成の場」。厳しい世界を経験してもなお、尾道商での教えを忘れたことはない。
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