2001/3/22
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| 渡辺 一博(広陵) (8) |
| わたなべ・かずひろ 1962年6月18日、愛媛県八幡浜市出身。愛宕中〜広陵高〜大商大。85年に松下電器に入社。5年間プレーしてコーチ就任。一度は社業に専念したが、2000年に投手コーチとして復帰した。右投げ右打ち。投手。大阪府守口市在住。 |
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| 「自分の中で一区切りつけたかったので、、青年の主張に出場した」と、振り返る渡辺さん |
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| 変則モーションで甲子園を沸かせた渡辺 |
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「ごまかし」屈辱の一言
振りかぶり、左足を上げた時にいったん停止。一気に力を込め、地をはうようなサブマリン投法―。広陵の一九八〇年春四強、夏八強の原動力となった下手投げの渡辺は、「ロッキングモーション」と呼ばれた変則投法とも戦い続けた。
二年の夏だった。コーチに習ったフォームをチェックしていた。たまたま足を上げた時に動作を止め、投げてみた。「いいクッションになって、今までにない速球の威力だった」
新投法を身につけたエースに引っ張られ、チームは破竹の勢いで広島県秋季大会、中国大会を制し、選抜切符を獲得。防御率0・73の主戦に、六割近い打率の四番原伸次(広島コーチ)。一躍、優勝候補に挙げられた。
大会二週間前、高野連からクレームが入った。当時は一度動作を止めた後、さらに左足を前方に突き出して投球に入る「三段モーション」。これを「二段モーション」にするよう指示された。急な変更にも、チームはベスト4に。「フォームも固まっていなかった。自分にとっては、不完全燃焼だった」と言うのも無理はない。
二段モーションをマスターしようと、連日の投げ込み。努力のかいがあり、広島県大会で優勝。春夏連続出場を決めた。3回戦では優勝候補の滝川(兵庫)を4―2で下した。準々決勝は天理(奈良)に2―4で敗れたものの、「満足いく内容。悔いはなかった。あの一言があるまでは…」。
整列の後、グラウンドを立ち去ろうとする渡辺に、球審が告げた。「ごまかしのピッチングは、今後しないように。国体では禁止する」。審判の注意にしても、「ごまかし」という言葉が胸に刺さった。「自分は三年間、ごまかしをやってきたのか」。満足感から一転し、やり場のない屈辱感へと涙は変わっていった。
五カ月後、悔しさを晴らす機会が訪れた。国語の授業で書いた作文がきっかけで、「青年の主張」全国大会への出場が決まった。甲子園を夢見て愛媛県から入学し、野球に取り組んだ日々。審判から受けた注意の言葉…。胸に詰まっていたものを五分間に凝縮させた。結果は準優勝だった。
「私は今、人生のマウンドに立っている。そして大きな夢がある。それは、指導者」が締めのフレーズだった。現在は社会人野球の投手コーチを務める。「人の心の痛みがわかる指導者として、野球界の底辺拡大にも努めていきたい」
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