2001/3/23
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| 藤井 進(宇部商) (9) |
| ふじい・すすむ 1967年7月25日、宇部市笹山生まれ。常盤中〜宇部商高〜青学大。現在は川崎市に本社がある米穀食糧会社に勤務。右投げ右打ち。外野手。妻子と3人暮らし。川崎市高津区在住。 |
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| 「本塁打を放って、目立つのが快感になった」と振り返る藤井さん |
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| パワフルなスイングで本塁打を量産した藤井 |
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大会14打点 いまも記録
ひとスイングごとに「原石」は磨かれ、強烈な輝きを放った。一九八五年夏の甲子園で4アーチを量産。一大会の個人最多記録を更新した。藤井のバットが吹かせた「夏風」に乗り、宇部商は準優勝を飾った。
山口大会で1試合平均8・2得点。地元の主力工業製品にちなみ、「セメント打線」と呼ばれた。五番として打率3割5分3厘をマークしたが、本塁打はゼロ。甲子園前は「確実に安打を狙いたい」と、控えめな口調でチーム打撃を掲げた。
ところが、どうだ。本人も「甲子園の魔物が乗り移った」と振り返るほど、驚異的なペースで打ちまくった。3回戦で2本の3ランを放つと、続く準々決勝でソロ、準決勝で3ラン。PL学園(大阪)の清原和博(巨人)が持つ個人本塁打記録を塗り替えた。
極端なアッパースイングの一発屋は三振を恐れず、ぶんぶん振り回した。長打を警戒する相手投手の配球も、ものともしなかった。当時の部長、原田剛・山口県高野連顧問(48)は「普通の打者なら見送る低めのボール球が、彼には絶好球だったんだ」と明かす。
大会前まで高校通算アーチは10本前後。甲子園での打撃開眼には伏線がある。夏バテしやすい体質を改善するため、毎日四リットルの牛乳を飲んだ。体重は六キロ増の七十八キロ。早朝のフリー打撃では重さ一・二キロのマスコットバットを振り回し、長打力アップにつながる腕力を磨いた。
初の四番に昇格した決勝の相手は、桑田真澄(巨人)、清原を擁するPL学園。春の選抜では2回戦で2―6で敗れていた。臥薪嘗胆(がしんしょうたん)の一戦だった。
決勝は序盤から接戦。1―2で迎えた六回表、選抜で4打席凡退した桑田から同点三塁打を放った。「春とは違って外角主体だった」。桑田が強打者として認めた証拠だった。同時に、「清原クラスじゃないと、プロは無理だなと痛感した」。
本塁打記録を破られた怪物・清原が目の前で2アーチを放ち、再度記録を塗り替えた。高校野球史上最強とされたPL学園にサヨナラ負け。リベンジはならなかったが、「力は出し切った」。満足感はいま思い出しても変わらない。全6試合で稼いだ14打点は世紀を超えた現在でも、個人記録としてさんぜんと輝く。
青学大卒業後は、きっぱり野球と縁を切った。サラリーマンとして仕事に追われる毎日だが、シーズンになるとプロ野球中継についチャンネルを合わせてしまう。巨人で四番争いする清原とは心の中で永遠のライバルであり、ファンでもある。「松井(秀喜)には負けるなよ」。ブラウン管越しにエールを送り続けている。
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