2001/4/17
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| 上野 貴大(広島商) (1) |
| うえの・たかひろ 1970年8月6日、広島県甲田町生まれ。甲田中〜広島商高〜日体大〜三菱重工広島。夏の甲子園決勝での完封勝利は7年ぶりで、広島県勢の春夏通算140勝目。96年の都市対抗大会では全5試合に登板し、準優勝に貢献した。右投げ右打ち。投手。広島市西区在住。 |
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| 「広島商で学んだ3年間は、野球人生の大きな財産」と振り返る上野さん |
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| 絶妙の制球とスライダーで頂点に上り詰めた上野 |
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米粒数え集中力磨く
一九八八年夏の甲子園。広島商は、中京(愛知)と並ぶ全国最多となる六度目の優勝を飾った。エース上野は全5試合に先発し、2完封を飾った。広商野球の「伝統」を縦糸、自分の実力に対する「信念」を横糸に織り成した巧みな投球を見せた。
130キロ台中盤の直球とスライダーを変幻自在に操った。「10球中、9球は狙ったコースに行った」。抜群の制球力は、真剣の刃渡りで有名な「広商秘伝」の精神鍛錬法で磨かれた。
二年秋、部長から「集中力を磨け」と、ひと握りの米粒を渡された。十五分間に、人さし指だけで数えた。徐々に数は増え、半年後は二千七百粒になった。
真っ暗な部室で、線香に向かってのシャドーピッチングにも取り組んだ。三年夏には、「捕手のミットが数倍にも大きく見えた」。甲子園準々決勝の津久見(大分)戦は、無四球で5―0。甘い球を痛打された川崎憲次郎(中日)とは、あまりにも対照的だった。
決勝は、好投手の前田幸長(中日)を擁する福岡一(福岡)との対戦。二回に一死一、三塁のピンチを招いた。「相手ベンチで、監督があごを触るのが見えた」。試合前の指示でサインを見抜いていたとはいえ、その瞬間を見逃さない観察力がなせる技。小学時代は野球の傍ら、剣道に打ち込んだ。そこで相手の動きを読み取る才能を磨いた。
遠めの速球でかわすセオリーに反し、「当てるなら当ててみろ」と外角低めにスライダーを投じた。得意球に対する「信念」の前に、バットは空を切った。1―0で優勝の瞬間、両腕を高々と突き上げた。
広島商では「敗者への礼を失する」と、禁じられたガッツポーズだ。「抑え切れなかった」のも無理はない。小学生の時から広島商のユニホームにあこがれ、覚えた校歌を口ずさんでいた。通算43イニング2/3で、与四死球6。「大きな山を登り切った」達成感に酔い、最後に一つだけ「伝統」に背を向けた。
野球に青春を捧げ、栄光をつかんだものの、「新しい夢探しに苦労した」。いわゆる「燃え尽き症候群」に陥った。日体大ではわずか4勝しか挙げられず、三菱重工広島に入社。二十四歳で、右足骨折で投手生命の危機に立たされた。「もう一度、エースと呼ばれたい」。がむしゃらだった高校時代を思い返した。
今でも、甲子園のビデオを見たり、米粒を数えたりする。三十歳となった今季も、都市対抗大会優勝を目指すチームの大黒柱。高校時代より速い140キロをマークする。「野球人として常に進化し続けたい」。野球との縁は、まだ当分切れそうにない。
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